奄美豪雨で氾濫した住用川沿いに立つ満田英和さん=20日、奄美市住用町西仲間
住宅1400棟以上が被災し、3人が犠牲になった2010年の奄美豪雨から20日で15年を迎えた。行政は抜本的な河川改修を進めるが、災害は頻発・激甚化し、ハード整備の対策だけでは限界がある。住民の記憶が薄れるつつある中、地域ぐるみで災害への備えを強化する取り組みも出てきた。
20日、鹿児島県奄美市住用町西仲間。同市名瀬の満田英和さん(71)は住用川に向かい黙とうをささげた。住用は3時間で354ミリの猛烈な雨が降り、西仲間集落は約100戸が浸水。近くにあったグループホームは天井近くまで水が達し、入所者2人が犠牲となった。
満田さんは当時、市住用総合支所の地域総務課長として災害対応に当たった。前日からの雨は午前10時ごろに強まり、1時間もたたないうちに支所前の国道58号に濁流が流れ込んだ。「あっという間に動けなくなった。犠牲者が出たと聞いて目の前が真っ暗になった」
退職後は災害を振り返るパネル展を開いたり、講演したり啓発に力を注ぐが、被災者が減り記憶の風化を感じることが増えたという。「奄美豪雨以上の災害は起きないとの認識が広がった。命を守るためにも、あの日を忘れてはならない」と話す。
県は11年度から奄美市と龍郷町の7河川の改修計画を進め、1河川を完工。残りは用地取得が難航していることもあり完成のめどは立っておらず、うち1河川は着工さえできていない。土地の境界が曖昧だったり、島外の相続者との交渉が進みづらかったりすることが背景にある。
改修で流下能力は1.6倍に増え、30年に一度の規模の雨に耐えられるとされる。大島支庁建設課の池水清人課長は災害が頻発、激甚化しているとし「ハード整備だけで完全に被害は防げない。住民の備えなどソフト面も重要」と語る。
「川が増水しています」「事務所に避難所を開設しました」-。住用の役勝(やくがち)集落は災害時、全87世帯の約半数が入るLINE(ライン)グループで情報を共有する。地元の建設会社代表取締役会長、三浦和美さん(69)が3年前に呼びかけて始まった。
きっかけは22年1月、南太平洋トンガ沖の海底火山の大噴火で奄美群島に発表された津波警報だった。避難場所や自分が避難対象となるのかが分からない住民が相次ぎ、集落は混乱した。奄美豪雨を受けて住用の自主防災組織率は100%となったが、十分に機能しない状況が浮き彫りになった。
三浦さんは「少しでも住民の不安を和らげたい」と、集落独自の避難計画の作成を提案。避難場所を見直し、各地の海抜を共有した。23年には防災士の資格を取り、地域の防災講話で防災情報を発信している。「知識があると災害への恐怖心を減らせる。自分自身を守った上で共助につなげられるよう、地域で防災意識を高めていきたい」と力を込めた。