崎田烈受刑者から届いた手紙の束。制限枚数にびっしりと状況をつづる=9月、霧島市(画像の一部を加工しています)
リハビリ専門医で鹿児島大学名誉教授の川平和美さん(78)=鹿児島県霧島市=は4年前から、岡山刑務所(岡山市)で脳出血の後遺症に悩む男性受刑者と文通を続けている。1986年に広島市で起きた強盗殺人事件で無期懲役が確定した崎田烈受刑者(66)。川平さんはリハビリの助言や症状の観察をしながら、月1、2回のやりとりを重ねる。手紙は50通を超え、「少しでも役に立てれば」と支え続けている。
<拝啓、突然の手紙でお尋ねします 失礼をお許しください。>
2021年7月、川平さん宛に1通の手紙が届いた。川平さんは鹿大大学院リハビリテーション医学分野の教授時代に、片まひのリハビリテーション法「促通反復療法」を開発。日頃から患者やその家族から体調や相談の手紙が届く。
通常、直接診たことがない人には「医療的助言はできない」と返すが、手紙を読み進めると、相手が無期懲役で服役中の受刑者であることが分かった。
<「坂を転がりおちるような」症状の激変を、なんとか、せめて「止める」ことは出来ないのでしょうか。>
手紙には、14年9月に脳出血を発症し、21年夏ごろから右半身のまひや、右肩から前腕、右足の膝下の痙縮(けいしゅく)=つっぱり=がひどくなり始めたと悩みが記されていた。
利き手でない左手で書かれた文字。川平さんは「徐々に悪くなる身体に苦しみ、切迫しているのを感じた。助言すれば少しは楽になると思い、返事をした」と振り返る。
以来、手紙のやりとりが始まった。「箸(はし)が持てなくなってきた」「日ごとに悪くなる」-。体調の変化と共に、刑務所での生活にも触れた。冬は寒く、崎田受刑者には医療的配慮から湯たんぽが貸与されているという。医師の診察はめったになくあっても1分ほどで、リハビリの指導はないと訴えていた。
川平さんはあくまで「参考意見」としてアドバイス。簡単にできる下肢運動を紹介し、痙縮する足への体重のかけ方や、寝る時の姿勢を写真付きで送ったこともあった。
崎田受刑者にまひが残る右手で手紙の一文を書いてもらい、症状を確認する。「障害は外見では分からないことがあり、痛みもそれぞれ違う。詐病と思われることもあり、つらかったのだろう」
川平さんからの返信を受けて、崎田受刑者は心身の不安が和らいだことを多くの手紙に記した。文通は月1〜2回ペース。川平さんの体調不良で数カ月空いた時期もあるが、25年10月時点で54通に上る。
川平さんは昨年、事件の概要を知った。医師として患者と向き合うために知人が教えるまでの約3年間、自分からは調べなかったという。
面識はなく、手紙だけのやりとりだが、川平さんは「手紙から信用できる人だと感じた。これからも医療的な面で支え、何らかの良い影響を与えられれば」と話す。
◇逮捕時から一貫して無実主張
崎田烈受刑者(66)は1986年5月、広島市のマンションで一人暮らしの元ホステスの女性=当時(36)=が絞殺された事件で、強盗殺人などの罪に問われた。
逮捕当初から一貫して無実を主張したが、1審、2審ともに無期懲役判決。事件から16年が経過した2003年1月、最高裁で上告が棄却され、刑が確定した。
当時の弁護団の一人、木村豊弁護士(74)=広島市=によると、被害者は崎田受刑者の知人。証拠が乏しく、凶器も発見されなかった。
有罪の決め手となったのは、崎田受刑者の交際相手(当時)宅から見つかった被害者宅の鍵だった。拘留期限が迫った3回目の家宅捜索で発見されたという。
弁護側は警察のねつ造を主張したが、訴えは退けられた。木村弁護士は「捜査に不自然な点が多く、おかしな事件だった」と振り返る。崎田受刑者は今も、身の潔白を訴えている。