連載 元阪神・横田慎太郎の「くじけない」
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【元阪神・横田慎太郎の「くじけない」①】甲子園に届かなかった鹿児島実高時代。冬の朝練、雪の上で上半身裸の腹筋もした。厳しい練習があったから、つらいことも乗り越えられる
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【元阪神・横田慎太郎の「くじけない」②】念願のプロ入り。「努力は裏切らない」という言葉支えに3年目で開幕スタメンに。「思いきって戦ってこい」。金本知憲監督の言葉が背中を押した
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【元阪神・横田慎太郎の「くじけない」③】ボールが二重に見える…「脳腫瘍です。野球は忘れてください」。医師の言葉に頭は真っ白。プロ4年目、「地獄の入り口」だった
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【元阪神・横田慎太郎の「くじけない」④】念願のグラウンド復帰。二重に見えるボール。脳腫瘍の後遺症は回復しない。立ちはだかる試練。一流選手もできない「大きな挑戦」だった
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【元阪神・横田慎太郎の「くじけない」⑤】復帰1年後、入院していた病院へ。「阪神の横田です」。声を掛けると、目が見えないはずの患者が一瞬、目を開いた。気持ちがつながった瞬間
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【元阪神・横田慎太郎の「くじけない」⑥】2軍選手異例の引退試合、鋭い打球がセンターに。ボールは見えない。捕球、ダイレクト返球、そしてアウト。「奇跡のバックホーム」の瞬間
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【元阪神・横田慎太郎の「くじけない」⑦】「横田君のプレーを見て元気出た」―引退試合後に握手した人の中には闘病の人も。「多くの人に勇気と希望を」…初の講演準備の最中、異変が
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【元阪神・横田慎太郎の「くじけない」⑧】引退1年後、予期せぬ転移。抗がん剤と放射線治療で吐き気が襲い、全身の毛は抜けた。「治療やめたい」。付き添いの母に弱音を吐いた
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【元阪神・横田慎太郎の「くじけない」⑨】「船に乗ったら、途中では降りられない。最後の港で一緒に降りよう」―母は弱音を吐いた僕に言った。折れた心が息を吹き返す。「諦めない」と
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【元阪神・横田慎太郎の「くじけない」⑩】「病は気から!」「復活」…金本さん、掛布さんから激励の色紙 。そして「背番号24を空けて待ってるぞ」。僕には阪神という戻る場所がある
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【元阪神・横田慎太郎の「くじけない」⑪】毎朝5時の散歩。何げない日常がどれだけ幸せか。大好きな野球は2度の大病に奪われた。でも初めて見えたものがたくさんある
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【元阪神・横田慎太郎の「くじけない」⑫=最終回】プロ野球選手になる―。大きな夢へ立てた「小さな目標」。大切にした「一人の時間」。二つをやり続けたことが病気と向き合う力に。これからも前を向く