時計 2020/08/16 17:00

魚雷を3発受け、真っ二つに折れた重巡洋艦「羽黒」。ともに漆黒の海へ沈んだ。重油が体にまとわりつく。駆逐艦「神風」に助けられたのは16時間後だった〈証言 語り継ぐ戦争〉

「戦争は二度と起こしてはいけない」と話す宮園静男さん
「戦争は二度と起こしてはいけない」と話す宮園静男さん
■宮園 静男さん(92)鹿児島市喜入生見町  

 沈む重巡洋艦「羽黒」と一緒に、漆黒の海へ落ちた。巨大な渦に巻き込まれながら、数十メートルは沈んだだろうか。無我夢中で浮き上がり、漂流していた車のタイヤにつかまった。

 1925(大正14)年1月4日、旧喜入町生見に生まれた。生見尋常高等小学校卒業後、舟大工をしていた父と共に働いていた。

 41年5月、志願兵として佐世保海兵団に入団した。軍隊に志願したのは、いずれは徴兵されることが分かっていたからだ。同級生より1年でも早く、との思いがあったかもしれない。

 わずか3カ月の新兵教育後、念願の羽黒初乗艦となった。当時17歳。意気揚々とタラップを駆け登ったのを覚えている。航海課の伝令係に配属。出港などの命令を伝える役割で甲板上を走り回った。

 12月、太平洋戦争が始まった。キスカ島撤退作戦、ソロモン海戦、マリアナ沖海戦などにも参戦した。羽黒は北から南まで太平洋全域を駆け巡り、最も気を吐いた。誇りだった。

 45年3月以降、英駆逐艦が東部インド洋に現れ、ニコバル諸島やアンダマン諸島に艦砲射撃を加えてきていた。5月14日の夜、アンダマン諸島の陸軍部隊に食糧や軍事物資を補給するため、シンガポールから出撃した。

 マラッカ海峡で5隻の英駆逐艦に囲まれたのは、15日夜から16日未明のことだった。行く手を阻まれ、四方八方から集中砲火を浴びた。本来、夜戦は日本海軍が得意としていたが、そのとき羽黒は輸送任務のために、魚雷を全て下ろしてしまっていた。

 交戦は、長くても1時間もなかったと思う。電気系統が全てやられ、人力操舵となった。魚雷を3発受けた。3発目の魚雷は右舷中央部に命中し、羽黒は真っ二つに折れた。

 直前に退艦命令はあったが、艦を見捨てることなど考えられなかった。沈没する寸前まで、羽黒から砲撃の音が聞こえていたのを覚えている。みんな最後まで逃げなかったのだろう。

 海には羽黒からの重油が広がっていた。体にまとわりついて、目も開けられなかった。

 「遠くに行くな」「まとまっていろよ」。時々聞こえてくるのは、漂流物にしがみついた生存者の励まし合う声だけ。死を覚悟した。駆逐艦「神風」に助けられたのは約16時間後。約1200人いた乗組員のうち、救助されたのは約300人だった。

 スマトラ島ペナンに上陸し、第九水上警備隊編入となったが、わずか3カ月後に終戦を迎えた。それまで、日本は勝つと信じ続けていた。

 92歳になった現在まで、羽黒のことは家族以外、ほとんど語ることはなかった。戦友や遺族らが集まる「軍艦羽黒会」には毎回参加している。2年前に開かれた会に出席した乗組員は、とうとう1人になってしまった。

 羽黒がどんなに強くても、戦闘では必ず死者が出た。「自分だけ生き残って申し訳ない」。その思いは、今も消えることはない。

※2017年4月4日付掲載。