軽巡洋艦「阿武隈」に配属。「地獄の船」と同情された。飯炊き、睡眠不足、制裁…。同年兵は精神的に参って艦を下りる。1年後、残ったのは自分1人だった〈証言 語り継ぐ戦争〉

(2020/08/24 17:45)
「軍とは一筋縄ではいかない組織」と語る井ノ久保武義さん
「軍とは一筋縄ではいかない組織」と語る井ノ久保武義さん
■井ノ久保武義さん(94)宮崎市熊野

 1921(大正10)年10月18日、宮崎県赤江村(現宮崎市)郡司分の農家に生まれた。40(昭和15)年6月、宮崎高等経理学校を中退し、海軍を志願した。18歳だった。

 飛行機乗りになりたかった。赤江尋常高等小学校6年生の時、宮崎の一ツ葉海岸に海軍の水上偵察機が飛来、宙返りを繰り返す姿を見て憧れた。

 ところが、父は海軍入りに反対で、願書に印鑑を押してくれない。役場の兵事係に相談すると、「主計兵として志願するなら、親の許可印はいらない」と教えてくれた。「後で航空兵に移る道もある」といわれ、主計兵で入隊することにした。

 佐世保海兵団で5カ月間の新兵教育を終え、軽巡洋艦「阿武隈」に配属されることになった。海兵団で指導を受けた山川町(現指宿市)出身の前園栄さんという教班長に「お世話になりました。阿武隈に決まりました」と報告すると、「ありゃ地獄の船だぞ」と同情された。しごきが半端ない、という意味だ。

 「でもあそこで辛抱できれば、どこに行っても通用する。絶対に自殺だけはするなよ」。妙な励ましを受けて40年11月、阿武隈に乗り組んだ。同年兵4人とともに、配属されたのは、500人近い乗組員の食事を賄う炊事場。午前3時半起きの「飯炊き生活」が始まった。

 新兵は雑用が多く午前0時前には眠らせてもらえない。睡眠不足でへとへとな上、事あるごとに先輩からの制裁がある。きつかった。

 炊事場には、食事時間でもないのに、他の部署の先任下士官がふらっと現れた。すると、主計科の兵が、隠れて食べ物を渡す。海軍の隠語で「銀バエ」と呼ばれる不正な横流し行為だった。 

 困ったのは、自分たち新兵の食器に、食べ物がよそわれることだった。食器は兵員の数ぴったりに用意されているので、器を持っていかれると、食事ができない。
 深夜に、機関科の部屋に食器を取りにいったことがある。眠っている古参兵に見つからぬよう、暗闇の中、収容棚の食器を探ったが、手が滑って床に落としてしまった。落下音が派手に響いた。

 「誰だっ」と誰何(すいか)の声が飛ぶ中、食器をつかんで一目散に逃げた。幸い、銀バエの露見を恐れてか、追及はなかった。

 同年兵は精神的に参って次々に艦を下り、1年後には自分一人しか残らなかった。経理学校の経歴を買われて、経理事務室に引っ張られたときは、「やれやれ、助かった」と思ったものだ。

 「軍とは一筋縄ではいかない組織だ」。それを痛感した新兵の1年だった。

※2016年9月4日付掲載

佐世保海兵団に入団した当時の井ノ久保武義さん(井ノ久保さん提供)
佐世保海兵団に入団した当時の井ノ久保武義さん(井ノ久保さん提供)