時計 2020/09/26 16:00

珊瑚海。「翔鶴」被弾の黒い煙が上がる。発着できない航空隊を「瑞鶴」に誘導した。燃料切れで海上不時着も続出。「壊れた機はどんどん捨てろ」と指示が出た〈証言 語り継ぐ戦争〉

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■木之下 茂道さん(94)鹿児島市西伊敷5丁目
 私が航空整備兵として乗り組んだ航空母艦(空母)「瑞鶴」は、同型艦の「翔鶴」と第五航空戦隊(五航戦)を編成していた。五航戦は、開戦5カ月後の1942(昭和17)年5月、豪州の東海上に広がる珊瑚海(さんごかい)で、史上初の空母同士の戦いに臨んだ。

 空母2隻を擁する米機動部隊と互いの搭載機を飛ばし合っての戦い。米機の攻撃は執ようだった。瑞鶴は運よくスコール(通り雨)に入って難を逃れたが、翔鶴は、急降下爆撃機の爆弾3発が飛行甲板を直撃。私も海の向こうに翔鶴被弾の煙が黒々と立ち上るのを見た。

 翔鶴は、飛行機の発着ができなくなった。そのため、米空母攻撃から戻ってきた翔鶴の航空隊も瑞鶴に収容することになり、飛行機の発着誘導に当たる整備兵はてんやわんやの忙しさとなった。

 着陸してくる九七式艦上攻撃機や九九式艦上爆撃機にはほぼ弾痕がみられ、米機動部隊の対空砲火のすさまじさがうかがえた。撃たれて機上で亡くなっている搭乗員もいた。

 着陸待ちの間に燃料切れで、海上に不時着する機も多いため、艦橋からは「壊れた飛行機はどんどん捨てろ」と指示が出た。そこで壊れた飛行機は、艦橋近くの舷側に押していき、海中投棄した。

 混乱に満ちた作業の中、飛行機を捨てすぎてしまい、再攻撃に出す機数が足りなくなる不測の事態も生じた。

 珊瑚海海戦は、日米両軍が空母1隻ずつを失い、痛み分けとなった。翔鶴が大破した五航戦は、同年6月のミッドウェー海戦に参加できなくなった。

 それまでとは、明らかに様相が異なる戦い。「米海軍は本当に手ごわい。今後、戦争は厳しくなる」との懸念を、ほとんどの乗組員が共有していたように思う。

 その懸念は、ミッドウェー海戦で、日本海軍が空母4隻を一気に喪失する大敗を喫したことで、裏付けされることになった。

 その後、米軍の反攻はガダルカナル島争奪戦から本格化した。

 瑞鶴は第2次ソロモン海戦、南太平洋海戦と、同島をめぐる航空戦に相次いで参加。艦自体は爆弾を浴びることなく、「強運艦」の名は高まったが、出撃させた飛行機の未帰還、搭乗員の戦死は目に見えて増えていった。

 一度、搭乗員を失うと、新たな要員の養成には多大な時間がかかった。日本軍は中部太平洋の戦いで、底なしの消耗戦に巻き込まれ、練度不足の搭乗員に頼らなければならない状況に追い込まれていった。

※2017年1月11日付掲載