時計 2020/12/17 14:00

城山に鹿児島城建物跡 鬼瓦や基礎遺構も出土 「大手口」の存在確認 鹿児島市

城山から見つかった鹿児島城の建物基礎跡や切り石の石列(中央左)=12月上旬、鹿児島市照国町
城山から見つかった鹿児島城の建物基礎跡や切り石の石列(中央左)=12月上旬、鹿児島市照国町
 島津氏の居城・鹿児島城(鶴丸城)の一部だった鹿児島市の城山で16日までに、江戸時代の建物跡や鬼瓦が出土した。築城当初に本丸が置かれた城山は、曲輪(くるわ)跡などの遺構は残るが、本格的に発掘調査されるのは初めて。専門家は「絵図でしか分からなかった、城の施設の存在が明らかになった。画期的な発見」と評価。調査する県は、鹿児島城を国指定の史跡にすることを目指しており、城の全容解明に向け貴重な成果となりそうだ。

 城山で初となる江戸時代の鹿児島城(鶴丸城)の遺構が確認されたのは、同市照国町の照国神社から城山山頂へ向かう遊歩道横の斜面。城の正門「大手門」から本丸につながる大手口にあたる。

 調査した鹿児島県立埋蔵文化財センターによると、こぶし大の石を集めて固めた「地業(ちぎょう)」と呼ばれる建物の基礎遺構や石列、土塁などが出土した。

 確認された石列は長さ約2.2メートル。高さ40センチほどの切り石を4枚並べており、段状にした斜面の土留めだったとみられるという。地業は計3カ所確認でき、最大のものは幅約1メートル、長さ1.5メートルに広がっている。土塁は高さ約70センチが残る。

 遺構の重なりから3回程度、造成し直したとみられる。鬼瓦や丸瓦のほか、丸瓦と平瓦が一体となった桟(さん)瓦、18~19世紀ごろの薩摩焼が出土した。同センターの西野元勝文化財主事(36)は「簡易的な小屋ではなく、瓦をふいた屋敷などがあった可能性が高い」と話す。

 江戸時代の城絵図には、城山に曲輪や侍屋敷の施設が描かれるケースが多い。「天保14年(1843年)城下絵図」にも、大手口に「大番所」と書かれた建物が確認できる。

 鹿児島国際大学の三木靖名誉教授(城郭史)は「大手口の施設の存在が初めて明らかになった。瓦ぶきの本格的な建物があったことになれば、島津氏が築城当初だけでなく、江戸時代後半になっても城山(山城)を重視したことが分かる」と話した。

 調査は、県が鹿児島城の国史跡指定を目指し昨年度から実施している、城の規模や範囲確認の一環。ほかに照国神社内の地中レーダー調査で、堀の可能性がある遺構を確認した。

 鹿児島城は17世紀初めに築城。現在は、石垣などが「鶴丸城跡」として県史跡に指定されている。「城山」は国の天然記念物・史跡。