時計 2021/01/05 20:00

御楼門前に「犬追物」遺構 鎌倉以来の伝統示す 鹿児島県埋蔵文化財センター調査

鹿児島城跡から出土した「犬追物馬場」の御犬垣とみられる杭列=鹿児島市山下町(県立埋蔵文化財センター提供)
鹿児島城跡から出土した「犬追物馬場」の御犬垣とみられる杭列=鹿児島市山下町(県立埋蔵文化財センター提供)
 鹿児島市の鹿児島城(鶴丸城)御楼門前から、江戸時代前期の「犬追物(いぬおうもの)馬場」跡とみられる遺構が出土していたことが分かった。中世から続く犬追物は、鎌倉以来の伝統を持つ島津家の“お家芸”と言える武芸で、県内で遺構が確認されるのは初めて。2018年に柵の杭(くい)列が見つかっており、県立埋蔵文化財センターが調べていた。専門家は「鹿児島独特の歴史を物語る貴重な文化財。木製の遺構が絵図通りに残っていたのは奇跡的だ」と話す。

 犬追物は、高さ1.5メートルほどの「御犬垣(おいぬがき)」と呼ばれる柵で囲まれた馬場(約80メートル四方)に放された犬を、騎乗の武士が鏑矢(かぶらや)で狙う武芸。流鏑馬(やぶさめ)などとともに中世に流行した。

 同センターによると杭列は、国の合同庁舎建設に伴う発掘調査で、17世紀の地層から出土。16本が約50センチ間隔で一直線に並んでいた。杭は六角形に加工された太さ5センチほどのクスノキ製。長さ約0.5~1メートルで、上部は欠損していた。一帯は地下水が多く、腐らず残ったとみられる。

 寛文10(1670)年ごろの薩藩御城下絵図には、御楼門前の城内に柵で囲まれた「犬追物馬場」が描かれている。馬場は1696年の元禄(げんろく)の大火後は「火除地」として空き地となった。同センターは「城内の変遷の過程を知る上で貴重な資料」として今後精査し、3月に調査報告書を刊行する。

 犬追物は江戸期には廃れたが、島津家は伝統を重視、強調するため、明治まで伝承してきた。同家伝来の故実書や絵図など関連資料は、国の重要文化財に指定されている。

 犬追物に詳しい尚古集成館の松尾千歳館長によると、島津家にとって神聖な儀式で、膨大な費用と人材を使い維持していた。今回の発見について「鎌倉以来の文化を受け継いでいたことが分かる。他県では見られない、独自の歴史を物語る遺構だ」と話した。