時計 2021/02/28 13:00

鹿児島城本丸の表門「唐御門」礎石が出土 御楼門と七高門、“3門”そろい踏み

七高門の門柱そばから出土した鹿児島城の唐御門の礎石(手前)=鹿児島市城山町
七高門の門柱そばから出土した鹿児島城の唐御門の礎石(手前)=鹿児島市城山町
 国の史跡指定に向けて調査が進む鹿児島市の鹿児島城(鶴丸城)本丸跡で、屋形の表門となる「唐御門(からごもん)」の礎石が見つかった。明治時代に建てられた第七高等学校の校門(七高門)そばから出土。昨年復元された御楼門と合わせ、江戸から令和までの鹿児島城の歴史を物語る三つの「門」がそろい踏みした。

 県立埋蔵文化財センターが昨年末から調査していた。礎石は凝灰岩製で縦横約60センチ、厚さ50センチ。上面に柱が立ったとみられる30センチ四方のくぼみがあり、その中央に縦横13センチ、深さ6センチほどの穴が開けられていた。穴には明治初めに焼け落ちた際のものとみられる炭が残っていた。

 鹿児島城の唐御門は、大きさや構造など詳細は不明。今回出土した礎石も「主柱のものか、脇柱のものかは判断が付かない」(同センター)という。1月に出土し、現在は埋め戻されている。

 唐門は屋根にアーチ状の唐破風(からはふ)で装飾された門で、二条城(京都市)や日光東照宮(栃木県)のものが知られる。鹿児島城の門は、江戸時代の絵図などから正面に唐破風が付いていたとされる。七高は明治34(1901)年に創設。七高門は幅約4.3メートルで、門柱4本(最大2.7メートル)が残り、唐御門もほぼ同位置にあったとみられる。

 建築史が専門の揚村固(あげむら・かたむ)・県立短期大学名誉教授は「城全体の門だった御楼門は、飾り気がなく質実剛健。唐門は本丸の屋敷の表門として派手に飾られていた」と特徴の違いを指摘。「御楼門をくぐって広場を曲がると、ようやく唐門が見えてくる。劇的な変化を演出していたのではないか」と話した。
広告