評伝・西郷輝彦さん 困難越えスターダムに、「鹿児島ドリーム」を体現

2022/02/22 21:30
「御三家メモリアルコンサート」で客席からの声援に応える(右から)西郷輝彦さん、橋幸夫さん、舟木一夫さん=2001年12月、鹿児島市
「御三家メモリアルコンサート」で客席からの声援に応える(右から)西郷輝彦さん、橋幸夫さん、舟木一夫さん=2001年12月、鹿児島市
 20日亡くなった西郷輝彦さんはテレビ草創期、青春スターの「ご三家」の一人として大変な人気を博した。アイドル歌手のはしりといえる存在が本土最南端の鹿児島から誕生したことは、まさに“ドリーム”というほかない。

 東京五輪が開かれた1964(昭和39)年に「君だけを」でデビュー後、ヒット曲を連発。人気絶頂期に里帰りして鹿児島市の県体育館でコンサートを開き、故郷に錦を飾った。当時近くに住んでいた筆者は、体育館周辺に集まったファンの人だかりと異様な熱気に触れ、幼心に強く焼き付いた。

 「星娘」「星のフラメンコ」といったヒット曲は、モダンでアイドル色を感じさせた。ルックスも抜群で、テレビ出演での女性の「キャー」という歓声はライバル歌手を上回っていたように記憶している。後の「新ご三家」(郷ひろみ、西城秀樹、野口五郎)の基になったとさえ思える。

 里帰りコンサートから約半世紀たって、ご本人にインタビューする機会を得た。力説していたのは、鹿児島から芸能界を目指す困難さだった。

 ご三家の一角、橋幸夫さんが活躍するのに刺激を受け、歌手を志した。しかし戦後20年足らず、交通網未発達の時代に東京はあまりに遠かった。鹿児島の人々にとってテレビの華やかな世界は、自分たちには無縁な夢の出来事のようだったという。

 歌が好きでルックスに恵まれていたとしても、どうやったら歌手になれるのか皆目わからない。もちろんコネもない。オーディション番組もなかった時代である。

 それでも家族、周囲の反対を押し切り15歳で故郷を出て、わずかな手がかりをたぐり寄せてデビュー。スターダムを上り詰め、努力と幸運で夢をつかんだ。歌手だけではなく、俳優としても「どてらい男(ヤツ)」「江戸を斬る」で主演を張り、大河ドラマ「独眼竜政宗」などで好評を得た。

 インタビューでは「紆余(うよ)曲折、浮き沈み、いろいろあった。俺はもうだめだ、と思ったこともある」と芸能生活を振り返り、実直で飾らない人柄を感じさせた。

 何よりも、鹿児島への郷土愛があふれていた。あの里帰りコンサートで「夢が実現した」と感じたこと、桜島に向かって芸能界を目指す誓いを立て、その後悩みや迷いが生じるたびに帰郷して一人ホテルの部屋から桜島を眺めていたことを聞いた。鹿児島の友人たちと定期的に集まることを楽しみにしていた。

 「芸名を事務所から提案されたとき、西郷(隆盛)さんと同じなんて恐れ多い、と言った」と振り返った。「両親は宮崎と長崎の出身だが、自分は鹿児島人だと思っている」と遠慮がちに語っていたが、昭和を代表する鹿児島県人だったと、誰もが認めるだろう。

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