ウクライナで剣道を教え44歳で他界 キエフでは教え子たちがお別れ会を開いてくれた 「一日も早い停戦を」 息子が人生をささげた国の現状に父は心を痛める

2022/03/20 08:36
仏壇に飾られた五代裕己さんの写真。ウクライナで通訳として活躍し、剣道の普及にも尽くした=志布志市志布志
仏壇に飾られた五代裕己さんの写真。ウクライナで通訳として活躍し、剣道の普及にも尽くした=志布志市志布志
 ウクライナの首都キエフに約20年間暮らし、通訳や剣道普及に力を注いだ志布志市志布志出身の五代裕己さんが2020年7月、44歳の若さで現地で亡くなった。志布志の両親は、息子が人生をささげた国がロシアの侵攻を受けていることに心を痛め、「一日でも早く平和が戻ってほしい」と願っている。

 県外の大学に進んだ五代さんは、バレーボールの国際試合を観覧した際、きれいな発音のロシア語を話す通訳の姿に魅了され、独学で勉強を始めた。卒業後に就職したが、通訳を目指す気持ちが高まり退職した。アルバイトをしながら語学学校の夜間部に2年間通った。その後、本格的にロシア語を学ぶため、25歳でキエフの大学に留学した。「1年でいいから行かせてくれとのことだった」と父豊一さん(71)は息子の決意を感じた。

 留学以来、キエフで暮らし通訳、コーディネーターなどとして活躍した。チェルノブイリ原子力発電所の事故調査で訪れる日本の研究者にも協力するなど、通訳の枠を超えた存在だった。汚染地域で暮らす人々のため、畑の収穫を手伝うこともあった。長年剣道をしていた経験を生かし、ウクライナで初の剣道連盟も設立した。現地の人を指導し、教え子と来日したこともあった。

 日本とウクライナの交流の懸け橋になった五代さんだったが、心不全で急死した。豊一さんが妻啓子さん(70)と現地に飛ぶと、剣道連盟が中心になり、お別れの会を開いてくれた。息子の死を悼む人々が100人ほど参列した。「すばらしい人を育ててくれてありがとう」と感謝の言葉を次々にかけられた。

 帰国すると、いろんな人が会員制交流サイト(SNS)を通じ息子の訃報を情報発信していたことが分かった。手紙やメールももらい、豊一さんは「息子はウクライナ人よりもウクライナ人だったと聞いた。短い人生だったが全力疾走したと思う」と振り返る。

 それだけにウクライナ侵攻はショックだった。「落ち着いたらもう一度現地に行きたい」とも思っていた。当初、息子の友人から「今は大丈夫です」と日本語で近況を伝えるメールもあったが、最近は届かず安否に不安が募る。

 豊一さんは「ウクライナで知り合った多くの人が置かれている現状を考えると胸が苦しい。一日も早く停戦が実現し、みんなが無事でいることを願うばかり。日本もウクライナの人たちを支援してほしい」と話した。

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