1500人が犠牲、疎開船「対馬丸」沈没から78年 遺体漂着の地、宇検村で慰霊祭

2022/08/27 21:13
慰霊碑に花を供え、犠牲者の冥福を祈る参列者=27日、宇検村宇検
慰霊碑に花を供え、犠牲者の冥福を祈る参列者=27日、宇検村宇検
 太平洋戦争末期、十島村悪石島沖で米潜水艦の魚雷攻撃を受けて沈没した学童疎開船「対馬丸」の犠牲者約1500人の慰霊祭が27日、多くの遺体が漂着した鹿児島県宇検村宇検の船越海岸であった。地元集落の主催。住民ら15人が犠牲者の冥福を祈った。

 慰霊祭は住民らが2017年に慰霊碑を建立して以来、毎年開いている。新型コロナウイルス感染防止のため、3年連続で集落住民を中心に少人数で営んだ。

 式典で宇検集落の津田直隆区長(68)は「当時、あまりの無残さに正気ではいられず、焼酎を飲みながら埋葬したと言われている。過去の戦争を教訓として、平和な世界が築かれることを願う」とあいさつ。参列者が献花した。

 対馬丸は1944(昭和19)年8月22日、沖縄から長崎に向かう途中で沈没。乗船者1788人のうち、判明している犠牲者は1484人(2020年9月現在)。奄美大島に漂着し救助されたのは21人だった。

 当時、遺体の埋葬に携わった大島安徳さん(95)の息子の英世さん(72)は「戦争は市民が犠牲になるという一例だ。それでもロシアのウクライナ侵攻など戦争がなくならないのは悲しい」と話した。

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