「自分一人で生きているのではない」と周囲への感謝の大切さを語る稲盛和夫・京セラ名誉会長=2015年7月、京都市伏見区
24日、90歳で亡くなった京セラ名誉会長・稲盛和夫さん=鹿児島市出身。経営者としての信念や平和に対する思い、故郷・鹿児島への愛着を南日本新聞の記事から振り返る。
「地方の人は何かと行政に頼りすぎる。地方自治体はまた中央に頼る。地方は地方の人材を育てていくべきだ」(1994年11月、ホテル京セラ上棟式でインタビュー)
「学校教育は知識を詰め込むだけでなく、人間性を育てる環境を整えてほしい。そうすれば50年後、100年後も日本人は世界中から信頼と尊敬の念を得るだろう。経済力や技術力も大事だが、それが一番の宝になる」(2012年1月、京都市でインタビュー)
「寝食を忘れて研究している方に報いる賞があまりにも少ない。ノーベル賞に匹敵するような賞をつくりたかった」(14年10月、京都賞創設30年に県庁訪問)
「今の憲法があったから、戦後70年日本が平和だった。自分の国、民族を守る勇気と備えは必要だ。だがそれ以上のことを調子に乗ってやってはならない。解釈変更や9条改正は良くない」(15年7月、京都市でインタビュー)
「ふるさとの皆さんに『よく頑張ったな』と褒めてもらえたようで、面はゆいながらも誇らしい気持ちでいっぱい」(15年11月、県民栄誉表彰で県庁訪問)
「鹿児島大学は日本全体で見れば、決して有名な大学ではない。これをもとに、優秀な学生や教員が研究したいと思うような大学になれば」(17年11月、京セラ株式100万株を寄付し鹿大で会見)
「ここで働く、ここで暮らすと決めたのなら、その道を不平不満を言わずに行けばいい。努力の積み重ねの先には、自分でも想像できないような将来が展開していく」(19年7月、名誉県民第1号に決まり京都市でインタビュー)