稲盛和夫さん
京セラやKDDIを創業し、日本航空(JAL)再建に尽力した京セラ名誉会長の稲盛和夫さん=鹿児島市出身=が8月下旬、亡くなった。日本を代表する経済人になってからも鹿児島を愛し、支えた「経営の神様」。薫陶を受けた人々に、心に残る教えや思い出を聞く。
■中園機工会長 中園洋司さん(76)
京セラさんとは1969(昭和44)年、前身の京都セラミックが鹿児島川内工場を造ったころからの付き合い。当時、うちは延岡市にあり旭化成が主な取引先だった。鹿児島にはIC(集積回路)関係のものづくり企業がなく、依頼を受けたのが始まりだった。
あるとき、うちの製品に「感謝状を差し上げたい」と稲盛さんが自ら延岡まで来てくださった。感謝状を受け取った後、稲盛さんは自らの考える世の中の姿を熱く語った。その印象が鮮烈で、「普通の人とは違うな」と感じたことを覚えている。
今ほど京セラは大きくなく、京都で開かれる賀詞交換会に毎年招かれた。稲盛さんは郷土愛に満ち、話は鹿児島のことや思い出話に始まり、世の中の予想や事業展開へと移っていった。将来予測は不思議なほどよく当たった。
第二電電企画(現・KDDI)を立ち上げるとき、鹿児島地区の関係者が集められた。「NTTが悪いわけではないが、これからの世の中のためには(競合する)会社がないといけない」と言われた。
常に「みんなのためになるかどうか」を考える人。何かことを興そうとするとき、「自分一人のためにやろうとしていないか」と自身と格闘し、大丈夫だと確認して次に進む。そんな稲盛さんに頼まれたら、頑張るしかない。「地元の鹿児島で、なるべくたくさん契約を取らないと」と必死に走り回った。
稲盛さんは社員を大事にし、経営方針を熱く語って浸透させてきた。うちは小さな技術者集団の会社。「技術を磨き、オンリーワンの会社をつくろう」という考えが浸透しているのも、稲盛さんのおかげだ。
(連載「故郷への置き土産 私の稲盛和夫伝」より)