献花する生徒や同窓会のメンバー=14日、鹿児島市の鹿児島女子高校
1945(昭和20年)6月17日の鹿児島大空襲で前身の鹿児島市立女子興業学校の生徒13人が犠牲になった鹿児島女子高校で14日、慰霊式があった。1~3年生の生徒や同窓生ら約700人が参加。戦争の悲惨さを後世に引き継ぎ、平和を守る決意を新たにした。
女子興業学校は現在の共研公園(中央町)にあった。女子高や遺族の手記によると、大空襲では校舎や寄宿舎が全焼。生徒2人がいた部屋に焼夷(しょうい)弾が直撃するなどし、学校を守るために残っていた13人が亡くなった。
慰霊式では、手記の紹介や献花のほか、生徒全員による黙とうがあった。空襲被害を初めて知った1年の大内山祭さんは「平和な暮らしは当たり前ではないと感じた。守っていく大切さを考える機会になった」と話した。
市戦災復興誌によると、大空襲は午後11時すぎから始まり、投下された焼夷弾は推定で13万個。1万1649戸が被災し、死者は2316人、負傷者は3500人だった。