神鷲(特攻隊)に続け! ゴム動力のグライダーで滑空の猛訓練 地上数メートルがやっとなのに教官は巧みな操縦で空高く…「早く、ああなりたい」と思った。

2023/07/17 10:00
滑空訓練の様子を話す松永実信さん
滑空訓練の様子を話す松永実信さん
■松永実信さん(75)大口市山野

 大和島根に生まれたら/みんな翼だ荒鷲だ/今に見てくれ電撃の/秘策は腕にこの胸に/そうだわれらはグライダー部隊…(グライダー部隊歌)

 神鷲(特攻隊)の後続部隊をつくれという日本軍の要請で一九四三(昭和十八)年、大日本航空青少年隊が設立された。同隊は全国各地に滑空訓練所をつくり、各学校や地域から選抜した少年たちにそれぞれ一カ月間の合宿猛訓練を受けさせた。航空兵予備軍の少年飛行兵を短期に育てるためだった。

 大口市にできた羽月滑空訓練所(現在の県立北薩病院周辺)では、四四年四月から翌年八月の終戦まで、十五期千人以上の訓練生を送り出したという。私もその一人。県内各地からの十四、五歳の少年たちと共同生活をしながら、グライダーを使った滑空訓練を積んだ。(冒頭の)部隊歌もあった。

 滑空訓練はこんなふうに行われた。グライダーは一人乗り。エンジンなどない。機体後ろ部分をくいに引っかけ、前方につけた二本のゴムを複数でV字型に引っ張って懸命に走る。後ろの係留部分を放すと、機体が飛び立つ。地上数メートルしか上がらない。飛んだと思ったら落ちる。だが教官が乗ると、翼をうまく操縦して高く長く飛んだ。お国のために「早く、ああなりたい」と思った。

 八九年八月、地元テレビの終戦特集で、羽月滑空訓練所の記録フィルム「神鷲への道」が放映されたのをきっかけに元訓練生たちが「飛翔会」を結成。九二年には訓練所跡に記念碑を建てた。碑には趣旨とともに「思いははるか北薩飛行の日。ともに平和を念じ杯を重ねる」という意味をこめた漢詩も刻んだ。

 飛翔会は高齢化が進んで総会の運営も難しくなってきて二〇〇三年に解散。訓練所のことは碑が語り継いでくれるだろう。

(2006年8月13日付紙面掲載)

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