富山丸の悲劇知った児童、新聞投稿きっかけに遺族と交流 「忘れられれば無かったことに」記憶の風化恐れる切実な思いを子どもたちが受け止めた。「私たちが学べば大人も戦争を考える」

2024/08/17 15:30
犠牲者の名前が刻まれた石碑を見つめる竹田百笑さん(右)ら岡前小学校の児童=7月23日、徳之島町のなごみの岬公園
犠牲者の名前が刻まれた石碑を見つめる竹田百笑さん(右)ら岡前小学校の児童=7月23日、徳之島町のなごみの岬公園
 太平洋戦争終盤の1944(昭和19)年、鹿児島県徳之島町亀徳沖で米軍から魚雷攻撃を受け沈没した輸送船「富山丸」の南日本新聞記事を読み、天城町立岡前小学校6年生の竹田百笑さんが「ひろば」欄に投稿した縁で同校児童と富山丸遺族の間に絆が生まれている。「戦争は絶対にいけない」と思いを共有し、交流を深める。

 竹田さんが富山丸に関心を持ったきっかけはNHK連続テレビ小説「虎に翼」。日本初の女性弁護士、判事になったドラマのモデル、三淵嘉子さんの弟が乗船し犠牲になったと母から教わった。

 数日後の4月中旬、本紙記事が目に留まった。沈没80年の今年、遺族の高齢化を理由に60年以上続く海上慰霊祭が最後になると知り、学校の1分間スピーチで「戦争を経験した方から当時のことを聞ける最後の世代かもしれない。戦争の悲惨さを忘れないようにしたい」と発表。飯伏竜二教諭(37)の勧めで投稿した。

 「戦争を忘れないために」と題した投稿は5月22日付に掲載された。「戦争の悲惨さを学び、平和をつなぎたい」と決意が込められた文章を、遺族の有村恵子さん(79)=鹿児島市坂元町=が読み、「戦没者に思いをはせてくれた竹田さんに感謝を伝えたい」と学校に連絡。有村さんは、竹田さんの学級にクリアファイルなどを寄贈した。

 児童は全員で折った千羽鶴とメッセージ集を贈った。富山丸が沈没した6月29日午前7時20分ごろ、慰霊塔のある徳之島町のなごみの岬公園で黙とうした。

 海上慰霊祭は今年で幕を閉じるが、来年以降は徳之島町が各遺族を招待し、慰霊祭を開く。有村さんは「悲惨な出来事も忘れられればなかったことになる。知らない世代が実感するのは難しいだろうが、戦争は絶対にいけないと伝えたい」。竹田さんは「地元の人も富山丸を詳しくは知らない。子どもが学べば大人も戦争を考える。みんなで向き合いたい」と話した。



 竹田さんと有村さんの交流をきっかけに、富山丸の慰霊塔を訪れた岡前小学校の6年生の感想は次の通り。

 川田智秋さん(11)「家族がいなくなるということはとても心苦しいことだと思った。僕たちは平和な世界にいる。とてもいい生活なのでどの世界でも実現してほしい」

 稲大輝さん(11)「富山丸のことは新聞記事で初めて知った。戦争は嫌。戦争が起きない世界にしたい」

 久田琥珀さん(12)「富山丸のことをもっと知りたくなった。戦争は思っていたよりも怖かった」

 豊島愛真さん(12)「今もいろいろな国で戦争が続いている。日本で絶対に戦争が起きないように、できることをしたい」

 田中琴菜さん(11)「戦争は色のある美しい世界を壊し、犠牲者が増え、悲しむ人が増えてしまう。平和で誰にでも権利がある世界を作り上げたい」

 吉沢麗來さん(12)「戦争の悲惨さを語り継ぐ人が増え、戦争を始めようとする人がいない未来になってほしい」

 加藤壮太郎さん(12)「沈没で亡くなった約3700人だけでなく、何万人もの遺族が苦しんでいるのだと思う。しかも遺骨も返ってこない。この出来事を絶対に忘れない」

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