マヤが殺された旧加治木町の現場を訪れた椋鳩十(左)と孫の久保田里花さん(右)ら=1978年ごろ(久保田さん提供)
自然界に生きる動物たちを通し、生命の尊さをたたえる名作を紡いだ鹿児島ゆかりの児童文学作家、椋鳩十(1905~87年)は今年、生誕120年を迎える。鹿児島県内や故郷の長野県喬木村では、業績を顕彰する企画展が開かれ、再評価が進む。戦後80年の節目に、戦時の厳しい言論統制下で書かれた作品を中心に、椋文学と戦争について考える。(連載「つなぐ命の賛歌~椋鳩十生誕120年戦後80年」④より)
太平洋戦争の敗戦から四半世紀すぎた1970年、椋鳩十は「マヤの一生」を発表した。マヤは、椋の家で飼っていた犬の名だった。
物語の中で、飼い犬に愛情を注ぐ平凡な家族は、権力への服従を強いる戦時の社会に翻弄(ほんろう)される。戦争は家族が気付かないうちに始まり、近所の若者の出征や戦死、食糧難、空襲と進み平和な日常をなし崩しに奪っていった。そして、マヤを供出しない家族を「非国民」とののしる地域住民の姿は、人の心すらも狂わす戦争の重苦しさを、読者に追体験させる。
椋は戦後20年近くたち、還暦を迎えても、戦争という極限状態を動物の物語を通して伝える意欲を持ち続けた。72年、「マヤの一生」に託した戦争に対する思いをこう集約している。「権力というものは、恐るべき怪物です」(「親子読書」72年7月号)。
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東京五輪を翌年に控えた63年、軍が見捨てた軍用犬の生きざまを描いた「孤島の野犬」を出版した。64年からは、ベトナム戦争に米国が本格参入し、戦いが泥沼化した時期でもある。
「椋鳩十と戦争」の著作がある作家多胡吉郎さん(68)は「椋は戦後ずっと、戦争と命という大きなテーマで、マヤの作品を生み出そうとしていた。命が粗末に捨てられる戦争を再び目の当たりにし、筆を執らざるを得なかったのではないか」と推測する。
椋は戦時中、姶良市加治木に暮らした。マヤの物語はほぼ実話に基づいており、証言の少ない飼い犬供出を伝える貴重な記録でもある。警察官や地元有力者に強制連行されたマヤは、2人の子の前で撲殺された。
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鹿児島市の鴨池動物園では猛獣処分もあった。43年10月、ライオン2頭、クマ7頭、ワニ4匹、ニシキヘビ2匹を軍命令で殺した。毒入りのえさは食べず、電車の架線からひいた高圧電流で感電死させたという。
園長は抵抗したが軍にはあらがいようもない。マヤを差し出すよう迫られた椋家族と重なる。椋の孫久保田里花さん(53)=鹿児島市=は「犬や猫は住民から積極的に献納供出された歴史もある。考えが違う人を非難し、排除する人の心の怖さも感じる」と語り、現代の世相と重ね合わせる。
「権力は怪物」といった椋は続ける。「ひとたび、権力に、心臓をかまれたものたちは、善人であればあるほど、どのように変わっていくか、地獄の悲しみとでもいった、どす黒い悲しみの中に、ひきずり込まれていくか」「戦争体験者には、もう一度、戦争を知らない人にもまた、しみじみと感じてもらいたい」
終戦から25年。戦争の実感が薄れつつある社会に向けた警鐘だった。
=おわり=
■マヤの一生
田舎暮らしの家族と愛犬マヤに起きた戦時下の悲劇の物語。家族の一員だったマヤは、食糧難のために飼い犬はぜいたくだとして、警察官や役場の人、地域の世話役に強制連行され殺される。供出に応じない家族を「非国民」扱いするなど、極限状態の中で人々が権力にのみ込まれ、人間性を失ってしまう戦争の本質を、次男(モデルは久保田里花さんの父・瑤二さん)とマヤの愛情を通して描く。