桜島 大正噴火の写真をAIでカラー化すると…12日であの日から111年。専門家「大正噴火の規模を知らないことが一番の問題」と警鐘鳴らす

2025/01/12 07:00
1914年1月12日午前11時半ごろの大正噴火の様子(鹿児島県立博物館所蔵)
1914年1月12日午前11時半ごろの大正噴火の様子(鹿児島県立博物館所蔵)
 20世紀で国内最大の噴火とされる桜島の大正噴火から12日で111年。姶良カルデラ(鹿児島湾奥部)の地下深部には、大正噴火当時と同等量のマグマが蓄積した状態という。鹿児島市や垂水市では11日、大規模噴火に備えた防災訓練があり、市民が火山の現状や避難行動について学んだ。専門家は「過去の教訓を生かすため、一人一人が大正噴火のことを知っておくべき」と話す。

 「本島ノ爆発ハ古来歴史ニ照シ、後日復亦免レザルハ必然ノコトナルベシ-」

 鹿児島市の東桜島小学校に立つ石碑は111年前の教訓を伝える。群発地震や地鳴りなどの前兆があり、島民2万人の多くが事前に避難したが、「噴火なし」とした測候所の判断を信じて島に残った人が犠牲となった。「住民ハ理論ニ信頼セズ-」の文言から「科学不信の碑」とも呼ばれる。

 鹿児島大学の井村隆介准教授(火山地質学)は「将来また起こるという過去からのメッセージ」とし、「県民が小さな噴火に慣れすぎ、大正噴火の規模をよく知らないことが一番の問題だ」と警鐘を鳴らす。「新燃岳の噴火(2011年)が今の桜島の10年分、大正噴火はさらにその100倍の規模」と説明する。

 大正噴火は、東西の山腹で噴火が始まり、活動は1年半続いた。大量の軽石が鹿児島湾に噴出し、雨が降る度に陸地から流出した。現代では船舶の航行が難しくなることが想定される。

 京都大の井口正人名誉教授(火山物理学)は「大規模噴火前に島外避難することが必須。確実に避難指示を出さなければならない」とした上で、「除去に10年かかるほどの大量の降灰が県内のどこかにある。全県的に考えておかないといけないが、その議論は進んでいない」と指摘する。

 大正噴火の8時間後には鹿児島湾を震源とするマグニチュード7.1の地震も襲った。対岸の鹿児島市街地で石塀の倒壊や地滑りが起き、犠牲者58人の半数は地震で亡くなった。

 鹿大の小林励司准教授(地震学)は「巨大噴火の場合、複合災害になることがほとんどだ」とする。しかし、この地震の断層は見つかっていない。「分からないことが多く、想定が難しい。ハザードマップをうのみにせず、状況が異なっても柔軟に対応できることが大事。次の巨大噴火で地震が起きるとは限らないが、耐震化や家具の固定など、命を守る対策は必要だ」と話した。

■桜島大正噴火 
 1914(大正3)年1月12日午前10時すぎ、桜島の東西山腹で噴火が始まり、約8時間後の午後6時半ごろ、鹿児島湾を震源とするマグニチュード7.1の地震が発生した。火山灰や噴石、溶岩などの総量は約20億立方メートルに上り、大隅半島と陸続きになった。島民約2万人の多くは避難したが、当日まで残っていた29人が犠牲になった。対岸の鹿児島市側では家屋や石塀の倒壊、土砂崩れが相次ぎ、29人が死亡。小規模の津波も起きた。

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