震洋隊の碑に手を合わせる住民=19日、南さつま市笠沙町片浦
戦時中、鹿児島県南さつま市笠沙町片浦の崎の山に駐留した海軍特攻艇部隊第124震洋隊有田部隊の慰霊のため19日、地元の50~80代の4人が現地を訪れた。住民らでつくる「有田部隊の会」による慰霊祭は高齢化で昨年終了したが、今年は有志が集まり戦争の記憶の継承を誓った。
震洋はベニヤの船体に自動車エンジンを搭載し、爆薬250キロを積んで敵艦に体当たりする水上特攻艇。1945年6月から駐留した有田部隊は出撃はなかったが、終戦直後の8月19日、信管を抜く作業中の暴発で8人が犠牲になった。
細長い半島の先端にある崎の山には81年「片浦基地の碑」が建立された。有田部隊の会を中心にした命日の慰霊祭は50回忌の94年に幕を閉じたが、中学生の平和学習をきっかけに8年前に復活し、昨年まで続いた。
「区切りをつけたつもりでも、命日には心が崎の山へ飛ぶ」という4人は、碑周辺のやぶを払って手を合わせた。「戦争が終わり、故郷へ帰れるとほっとしていただろうに」と隊員をしのんだ。
参加した中村力生さん(82)は「悲しい歴史を思い起こす大切な場所。体が許す限り慰霊を続けて後世に伝えていきたい」と話した。