人でごった返す鹿児島駅に落ちた爆弾、無数の遺体…かろうじて残った6畳の防空壕で女学生の私は母の遺言を胸に暮らした【証言・語り継ぐ戦争】

2025/08/31 14:29
防空壕の中で養父母や友人と食事をする塩田律子さん(右から2人目)=1945年、鹿児島市加治屋町(塩田さん提供)
防空壕の中で養父母や友人と食事をする塩田律子さん(右から2人目)=1945年、鹿児島市加治屋町(塩田さん提供)
■塩田 律子さん(93)鹿児島市中山町 「律子、おりこうになりなさいね」。1940(昭和15)年10月、母・岡部みつぎは私にそう言い残し病死した。享年43。父… [続きを読む]

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