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イセエビの水揚げ額が20年で2倍以上?! 日和佐町漁協が未来につなぐ新しい漁業のかたち


私たち一般社団法人Chefs for the Blue(シェフズ・フォー・ザ・ブルー)は、「持続可能な海と食文化をつくる」 ことをミッションに、豊かな海と食文化を未来につなぐため、国内トップシェフら約40名と共に、約350名の料理人を中心とした飲食業界コミュニティ「THE BLUE COMMUNITY」を運営し、活動しています。


我々の活動の重要な柱として、持続可能な漁業の好事例を学び 、課題と向き合う漁業者の皆様の声を直接伺うため、現場のリアルな知見を学ぶフィールドワークを継続的に企画・実施しています 。


今回は、10月6日から7日にかけ、イセエビの資源管理で水産庁長官賞を受賞された 実績を持つ、持続可能な漁業の先進事例である徳島県の日和佐漁協様・由岐漁協様を訪問しました。現場で得た貴重な学びを、今後の社会に向けた活動に繋げていきたいと思い、レポートにまとめました。

「一番獲れるときに、網入れをやめよう」


10年前、思うように回復しないイセエビの資源量に悩むなか、徳島・日和佐町漁協の豊﨑辰輝(とよさき よしてる)組合長はこれまでの漁業を抜本的に見直す決断をしました。


しかし、「獲れる時に獲る」というこれまでの漁業の常識を根底から覆すようなこの決断に、周囲は簡単に納得してくれるはずもなく、決して一筋縄ではいかなかったと振り返ります。とりわけ難しかったのが年配のベテラン漁師の説得でした。


それでも漁協はこの改革を断行し、なんとその結果、かつて年間8トンまで落ち込んだ水揚げ量を倍にまで増やすことに成功します。しかも操業回数も、漁につかう網の数も、大幅に減らしながらです。


「どんなことも最後は人です」。豊﨑さんは、資源管理のカギは、漁師の考え方を変え、協力を得ることにあると話します。


そして資源が回復してもなお、たゆまぬ努力が必要で、資源管理に終わりはないと言います。「漁師一人ひとりにいろんな事情がありますから、毎年のように議論はつづきます」


反対する人も、賛同する人も、若者も、年配者も──。すべての人が漁に関われるようにし、海の資源と漁協の未来を守ってきた、日和佐町漁協の資源管理戦略について話を聞きました。

イセエビが減っていったのは「獲りすぎた」から


10月初旬。秋晴れの午後、徳島県南部の太平洋沿岸にある、おだやかな時間が流れる小さな漁港に、関東や関西からブルーコミュニティのメンバー約20人が集まりました。出迎えてくれたのは、日和佐町漁協のみなさんです。


豊﨑辰輝さん(日和佐町漁協組合長)

1953年生まれ。漁師の家系に生まれ、5年制の徳島県立水産高等学校を卒業後、20歳で漁師になる。カツオの一本釣りやマグロ漁を専門としながら、冬にはアジやサバ、年に数回イセエビを獲ってきた。2015年に組合長に就任し、イセエビの資源回復に尽力する。


1949年に発足した日和佐町漁協は、組合員数が約50人、平均年齢は70歳です。水揚げ金額は年間約1億5000万円(2024年)で、その7割をイセエビが占めています。漁協ではほかにアオリイカ、アワビ類、サザエ、カツオ、マグロ類、モジャコ(ブリ養殖用天然種苗)などを水揚げしています。

いまでこそ稼ぎ頭となっているイセエビですが、1999年には漁獲量が年間8トンまで落ち込みました。「一番の原因は漁師の獲りすぎです」と豊﨑さんは話します。


2013年(平成25年)から資源は徐々に回復傾向にある 提供: 日和佐町漁協

一番獲れる時化(しけ)の時に獲るのをやめる

イセエビ漁がはじまるのは夕方前。漁師たちは午後3時半ごろ、海岸線から数メートルから数百メートルほど離れた、波が跳ね返るような浅瀬で網を入れるといいます。漁法は「いそ建網」と呼ばれる刺し網の一種。海の底にカーテン状に網を張り、夕方から活動をはじめるイセエビが網に引っかかるのを待つのです。漁師が海に再びもどり、網を揚げるのは翌日の午前0時ごろ。出荷するのは午前6時前後です。


いそ建網(イセエビ刺網)の模式図 提供:徳島県


太平洋沿岸の広域に生息するイセエビは夏に岩場で産卵し、孵化した稚エビは約1年間プランクトンとして太平洋を漂い、黒潮に乗っておよそ2000キロを旅し、日和佐にたどり着きます。その頃には、透明な「ガラスエビ」と呼ばれる姿に成長しています。メスは1年で60~80グラム、オスは80~120グラムになり、漁師は2~3年ほど育ち150グラム〜300グラム前後になったイセエビを獲って出荷します。


イセエビを一網打尽に獲るなら、台風などの荒天や雨天時の波の高いときが狙い目だ、と豊﨑さんは話します。イセエビが荒れる海を怖がり、磯(岩場)から出てくるため網にかかりやすくなるからです。


しかしそうして獲ったイセエビは大量に獲れたとしても、網に複雑にからみついて傷つきやすく、B級品になるものも多い。さらにサイズの小さなイセエビも網にかかり、その値段は7割に下がります。また網は破れやすく、操業も危険を伴う。


そこで、豊﨑さんが考えたのが「一番獲れる時化のときに獲るのをやめる」ことでした。最初は「『そんな冗談を言って』と笑われて、だれも信用しませんでした」と、当時を思い出して苦笑します。


「獲れすぎると、そのあと獲れなくなってしまいます。でも漁に何回出ようが、海にいるイセエビの量は変わりません。


だから考えることは、いかに単価を上げられるか。B級品ではなくA級品を増やすにはどうしたらいいか──。


そうするには、波のないおだやかなときに漁をするべきです。そして小さいイセエビを海に残して、大きくなった次の年に獲れば、通常サイズの一等品として高く売れます」


日和佐町漁協では、豊﨑さんが組合長に就任する前にも10年近く資源管理に取り組んできました。しかし水揚げ量は11〜12トンで横ばいの状態が続き、打開策が見つからないままでした。


そこで、豊﨑さんは資源管理をさらに厳しくすることを決め、組合員に新たなルールを提案しました。


操業回数と網数を減らす。

日和佐町漁協の操業期間は9〜12月(秋網)と3月〜5月(春網)の2回。禁漁区を開放しておこなう共同操業は年に5回で、使用する網は3束と定めている。共同操業が終わると禁漁区の外でそれぞれの漁師が通常操業を行う。かつては一軒あたり17反(たん:刺し網を数える単位)の刺し網を使っていたところを、まず13反に減らし、最終的には5反にした。また年間40〜50回だった操業回数を近年は15〜20回に制限している。


120グラム以下のエビは禁漁区に放流する。

(近年は、100グラム以下のエビを放流することが多くなっている)


通常操業の出漁のスタート地点を10ヵ所に増やし、公平で安全な漁ができるようにする。

 これまで通常操業では、競艇さながらに漁師たちがスタートを切り、好漁場を目指して競い合ってきた。一方で、高性能で大きな船を持つ漁師が有利になり、小さな船は危険にさらされることもあった。こうした漁場の取り合いをなくすため、出漁のスタート地点を10ヵ所に設けた。


良質なイセエビを高値で売るための工夫をする。 

たとえば、「全量入札にし、ほかの地域の漁獲状況や産地仲買の確保状況を常に把握する」「相場が安いときには、天気が良くても無理に操業しない」「また共同操業のときには、操業場所や網数をこまめに調整する」「次のシーズンに資源を残すため、場合によっては早めに終漁する」などの細かい方針を立てた。


しかし、これまでの常識とはかけ離れた提案に、組合の漁師たちからは「それでどうやって生活するんだ」と反発の声があがり、ときにはケンカに発展することもありました。


反対していた漁師も思わずうなずく提案で、みんなを巻き込んだ


豊﨑さんは漁師の気持ちを代弁しながら、資源管理を徹底する難しさを語ります。


「漁師は誰よりも多く魚を獲るために漁師になっています。名人とは最後に残った賢い1匹を獲る人のこと。だから、漁師に資源管理をしてと言ってもなかなか頭の切り替えができないんです。魚を獲るのをやめるよう伝えるのは、漁師をやめなさいと言うのに等しい──。でも、それが通用するのは資源が豊富にあるときだけです」


考え悩みながら、豊﨑さんは組合員の理解を得るために奔走しました。その際、大切にしたのは「反対意見を持つ人のことをよく観察し、その思いを考え、その人たちが納得するアイデアをだすこと」だったと言います。


「資源管理を進めようとすると、若い人たちは協力してくれますが、あと数年で漁をやめるかもしれない年配の人たちは、結果がいつ出るかもわからないですし、『いまさら資源管理なんてしたって』と言って協力してくれないものです。日和佐に限らないことだと思います」


そこで、豊﨑さんは反対する一人ひとりの性格や人間関係に応じて説得方法を変え、ときには膝を突きあわせて本音で話し合いました。最終的には、年配の漁師たちも年に5回の共同操業(好漁場のある禁漁区で公平に漁をするために組合員が班にわかれて行う漁)に参加できるようにし、経済的なメリットとやりがいを得られる方法を考えつきます。


「4人1組でおこなう共同操業では、若い漁師2人と年配の漁師2人が船に乗ります。そうすると、若い漁師は重労働をし、年配の漁師はエビを網から外すなど、それぞれが上手くできることを自ずと担当するようになります。


年配の人たちには『孫にお小遣いをあげられるようになりますよ』と伝え、協力してほしいとお願いしました。最近は、共同操業に5回出れば、高齢の漁師でも約50万円は稼ぐことができます。若い漁師と交流できることも、年配の人の楽しみになっています」


また、漁協では多数決ではなく全員一致が原則ということもあり、公平に意見を聞く工夫もしました。操業日を決めるメンバーの8人は、天候が少し悪くても出漁する強硬派から4人、安全を重視する穏健派から4人を選び、できるだけ無理に出漁せず、操業回数を抑える判断ができる構成にしました。


操業回数を減らしたメリット

・燃料代や人件費が減った

・網の修繕が必要なくなった

操業回数を減らし、波がおだやかな日に操業することで、網の傷みが減り、半日以上かかっていた修繕の手間もほとんどなくなった。その結果、水揚げ額を維持しながら、漁の効率と安定性が向上することができた。


水揚げ額は20年で2倍以上に

日和佐町漁協の挑戦は着実に実をむすび、コロナ禍の影響を受けることもありましたが、水揚げ量と水揚げ金額ともに段階的に伸びていきました。


漁業者が減るなか、イセエビの水揚げ額を伸ばしてきた


「2024年度の操業回数は14回。しかも網は5反(一反は約75メートル。関東の一部地域のイセエビ漁では20〜30反の刺し網を使用する、と参加していたブルーコミュニティの漁師さんは話していました)しか使っていません。でも水揚げ額は2004年の倍以上でした」


岩場に群れて潜むイセエビは資源が豊富な証拠。「漁では、イセエビを握って網を揚げるほど」と豊﨑さんは言う 写真提供「海と遊ぼ屋 海達」


また2021年には、水揚げ量が最高値の21トンまで伸びたこともありましたが、豊﨑さんが選んだのは、それ以上獲るのではなく、減らすことでした。


「日和佐の磯のポテンシャルと、地球温暖化などの環境変化を考えたら、獲れ過ぎだと思いました。そこで目標を17〜18トンに設定し、操業回数は15〜20回に、1回の操業で平均1トンを目指すシステムにしました。


ただし近年は、黒潮大蛇行や水温上昇の影響もあってか、流れてくるイセエビの子どもの量が少し減っています。そのため、獲れていても、14トンでやめましょうと呼びかけることもあります。代わりに、できるだけ高く売れるようにし、獲る時期を正月商戦の12月に集中するようにするなど工夫をしています」


日和佐町漁協では近年、イセエビの資源管理にとどまらず、伐採した広葉樹を活用して海に沈めるアオリイカの産卵場づくりや、藻場、とくにアワビやトコブシが好むアラメ場の再生にも力を入れています。


水産の未来には、長期的なビジョンが必要

豊﨑さん(中央)と、ブルーコミュニティのメンバー。左端はこのフィールドワークをアレンジいただいたフィッシャーマン・ジャパンの津田さん


豊﨑さんは最後に、いまの水産業についての思いを聞かせてくれました。


「いまの海の状況は大きな問題だと思います。日本の漁業が世界で一人負けしていると言われますが、その背景には、全体を見渡し、長期的なビジョンを掲げ、それを実行する人が政策決定の場に少ないことがあります。日本の水産業をどう再生するのか、そのビジョンが見えてきません。こんなちっぽけな田舎の漁師でも感じることです。


マグロを増やす取り組みがありますが、餌となる小魚の資源管理をおざなりにしたまま、マグロを増やして、マグロが小魚を食べつくしてしまったら、海全体に波及するんです。自然というのは全部がつながっています。一つだけ良くしてもだめだというのは、もう誰もがわかっていることだと思うんです。


日和佐ではイワシがほぼ全滅なのですが、『温暖化だから』と片付けてしまったら、そこで終わりだと思います。自然には大きな力があります。絶対に守らないといけないものを守り、条件が整うと、海は再生していくのではないでしょうか。全体のバランスを考えて動くことが大事であり、そうやって動いてくれる人が必要です」


各地の自主管理が、地域経済と食文化を守る基盤に

日本で行われている資源管理のスキームは、大きくは国による「TAC(漁獲可能量)管理」と各地域の漁業者による「自主管理」に分けられ、日和佐町漁協によるイセエビの資源管理は後者にあたります。(全国各漁協の取り組みは、水産庁のホームページにおいて「資源管理協定」として公表もされています)。


日本の食文化を支える多種多様な魚種の多くは、沿岸漁業において漁獲されます。その生産高の8割は非TAC魚種が占めており(2025年時点)、食文化の持続可能性の観点からは、沿岸漁業における漁業者による自主的な資源管理が非常に重要です。


こうした漁業者の皆さんとつながり、その取り組みを伝えることも我々ができる役割です。これからも、各地域で行われている好事例にお邪魔して、豊かな海と食文化を守るための光をお伝えしていきたいと思います。




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