九州弁についての見解を話す木部暢子・人間文化研究機構長
九州各地で愛されている方言。背景には何があるのか。アクセントや音韻の研究で知られ、九州でのフィールドワークの経験もある木部暢子・人間文化研究機構長(鹿児島大元教授)に、方言の歴史とともに語ってもらった。
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九州圏で方言がより好意的に受け止められている背景としては、中央からの距離が重要だったと考えている。東京近郊ではすぐに標準語と比較してしまい「自分たちの言葉は違う」とか「なまっている」となる。しかし九州は東京からも関西からも離れており、どこかと比較するということもなく独自性を維持したようだ。
もう一つ。九州の方言にはかつて京都で使われていて、今は使われなくなった言葉が多くある。例えば、「上げる」を「上ぐる」と言うように室町時代以前の京言葉が残っており、「おかべ(豆腐)」のように宮中言葉に由来する名詞も存在する。「九州の言葉は由緒正しい」という誇りを持っている人が結構いる。
東北にも同様に鎌倉や室町時代の言葉が残っているが、東北は元禄時代に興隆した江戸文化の影響を受けて変化した。その点、九州諸藩の人たちは江戸文化の影響をあまり受けていない。より保守的だったともいえる。
戦後、方言は衰退した。学校教育と高度経済成長期やテレビの普及の影響だ。
標準語化政策は明治時代から始まってはいたが、戦後、1951年の学習指導要領で「共通語教育」がうたわれると、現場の先生たちは真面目に「みんなで共通語を話せるようになりましょう」と教え、子供たちには「方言は使っちゃいけない言葉」という意識が刷り込まれていった。学級会などで「○○ちゃんが方言を使いました」と報告されたような地域もあった。
55年からの高度成長期には、集団就職などで若者が都市部へと移動。都会で困らないようにとますます標準語化が進展し、違う地方の人同士の結婚も進んで家庭からも方言が消えた。さらにテレビの普及で子供たちは映像とともに標準語を吸収していった。
しかし近年は状況が変わった。ユネスコ(国連教育科学文化機関)が少数民族の文化や言葉を守るように訴えた流れが2009年以降、日本にも波及し、各地で消滅危機にある言語を守る動きが出てきた。若い世代に方言への悪いイメージはなく、「ほかとは違う言葉はかっこいいもの」といった受け止めもある。ほかの地域とは違う言葉を持っているというアイデンティティーの象徴として、肯定的に捉えられている。
方言が消えゆきつつあるという大きな流れ自体は変わらないだろう。しかし場によって方言と標準語とを使い分けるなどしながら、少しでも後世に残してゆけると良い。
【略歴】きべ・のぶこ 1955年生まれ、北九州市出身。鹿児島大学教授、同大学法文学部長、国立国語研究所教授などを経て2022年4月から現職。博士(文学・九州大学)。専門は日本語学、方言学。東京都在住。