【九州4紙合同企画 災害碑を知る】大水害復旧記念碑(熊本県上天草市)―当時の記憶を呼び起こし、次代へつなぐ鍵に

2024/04/14 04:30
天草大水害の5年後に建てられた「災害復旧記念碑」。本田明男さん(後列右)は記念碑を紹介しながら、水害の記憶を伝えている=4月上旬、熊本県上天草市
天草大水害の5年後に建てられた「災害復旧記念碑」。本田明男さん(後列右)は記念碑を紹介しながら、水害の記憶を伝えている=4月上旬、熊本県上天草市
 大雨、台風、火山、地震-。災害の記憶や教訓を後世に伝えたい、と建てられた碑がある。南日本新聞、宮崎日日新聞、熊本日日新聞、西日本新聞の九州4紙による「災害伝承碑」についてのアンケートでは、認知度があまり高くない実情が浮かんだ。碑を防災にどう生かしていけばいいのか。今年は桜島の大正噴火から110年、14日は震度7を観測した2016年の熊本地震前震から8年。

 「岩肌だった山も今は木々の緑で覆われて…。水害の面影を残すのはこの碑ぐらい」。熊本県上天草市姫戸町の二間戸(ふたまど)団地公民館そば。高さ約2メートルの「災害復旧記念碑」を見上げると、本田明男さん(77)はしみじみと語り始めた。「たしか、碑の土台も災害で出た石を積み上げたはずです」

 国土地理院が示す熊本県内の災害伝承碑は72カ所。半数近い34カ所が天草地域に点在する。うち13カ所が、1972年の天草大水害を伝える。山津波(土石流)が集落を襲い、死者・不明者計45人を出した旧姫戸町にある、この碑は「想像を絶する惨状を前に被災者は茫然自失し為すところを知らなかった」と記す。

 地元の姫戸中は2019年度から毎年、水害が起きた7月6日に、被災者に当時の記憶を語ってもらう「つなぐ集会」を開く。水害から半世紀。街につめ痕が残らない現在、語り部たちは、碑に「当時」を見る。本田さんもその一人だ。

 本田さんは災害時、町職員として対策本部の任務に当たった。「当時を知る職員も今は私しか残っていない」。21年、姫戸中から語り部の依頼を受け、小学校や地元老人会でも、水害を語るようになった。「この碑のことは必ず話します。水害の歴史には欠かせない」。碑は現在、家屋を失った被災者らのために、海を埋め立てた集団移転の地に建っている。

 「恩師が記した碑を見て当時を思い返した」。昨年、姫戸中の語り部を引き受けた団体役員の平田実さん。被災した旧姫戸小牟田分校跡地を訪れ、分校の歴史を記した碑を読み返し、記憶を確かめたという。碑には「校舎を一瞬のうちに一物をも残さず流失せしめた」。当時の児童64人は校舎から土手に避難し、一命を取り留めた。小学6年だった平田さんは「大それたことは言えないけど、水害を伝えるのは生かされた者の役目」。

 地元の被災者に語り部を依頼する姫戸中の小柿勇校長(56)は、自身も20年、熊本県人吉市で豪雨の被災者になった。「水害を知ることは防災だけでなく、地域の歴史も学ぶ。地域に担い手となる生徒たちに水害の記憶をつながなくてはいけない」と力を込める。(熊本日日新聞)

■災害伝承碑 国土地理院は2019年6月、過去の津波や洪水、土砂災害などを伝える自然災害伝承碑の地図記号の使用を開始した。今年3月28日時点で全国に2099基あり、市区町村からの申請を受けておおむね月に1回、追加。ウェブサイトで公開している。九州7県では221基が登録されており、内訳は福岡18、佐賀41、長崎27、熊本72、大分21、宮崎13、鹿児島29。
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