内戦下のシリアで反体制派が首都ダマスカスを掌握し、50年以上続いたアサド父子2代にわたる独裁体制が崩壊した。攻勢を主導した「シリア解放機構」の統治能力は未知数で、混迷が深まる可能性がある。
シリア解放機構のジャウラニ指導者は「穏健な統治」を目指す姿勢を示している。だが、機構は国際テロ組織アルカイダ系の流れをくみ、米国や国連からテロ組織指定を受けている。
シリア北東部には反体制派と距離を置くクルド人勢力の支配地域もある。アサド政権打倒で共闘した反体制勢力が、この先も一体とは限らない。権力闘争や敵対勢力への報復ではなく、和解による安定を図って真の内戦終結を実現してほしい。
アサド大統領はロシアに亡命したが、フランス司法当局は昨年、戦争犯罪などで国際逮捕状を出している。公正な裁判で事実を明らかにすべきだ。
先月27日に反体制派の攻勢が始まってから10日余りであっけなく政権が倒れた背景には、後ろ盾だったロシアやイランの弱体化がある。ロシアはウクライナとの戦闘で疲弊し、イランは親イラン民兵組織ヒズボラがイスラエルとの交戦で力をそがれ、シリアを支える余裕を失っていた。
政権崩壊を受けてバイデン米大統領は「抑圧されてきた人々にとって歴史的なチャンス」と述べた。欧州諸国も歓迎の声明を発表したのは、惨事と混乱の元凶と捉えていたからだろう。
アサド大統領は1971年から大統領を務めた父ハフェズ氏死去の後、2000年に就任した。中東民主化運動「アラブの春」が波及し、11年3月に反政府デモが本格化すると徹底的に弾圧し、反体制派との武装闘争で内戦に陥った。その中で政権側は市民に対して化学兵器を使用したとされる。
混乱に乗じて台頭した過激派組織「イスラム国」(IS)は住民を恐怖で支配し、国際テロの拡散につながった。子どもを含む民間人も巻き込んで40万人以上が死亡し、経済は疲弊した。国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)によると国内避難民は670万人、国外の難民は660万人に上る。
その結果、15年に欧州難民危機が起きた。ドイツやハンガリー、フランス、英国で反移民感情が高まり、極右台頭をもたらした。中東の不安定化が欧州の政治と社会を変えてしまったと言っていい。
バイデン大統領は今後も米軍をシリアに駐留させ、IS掃討を続ける。シリア解放機構に対しては「言葉ではなく、行動で判断する」と今後の出方を注視する構えだ。
最優先すべきは、人道状況の改善である。シリアが自律的に法の支配に基づく秩序の回復を目指すなら、国際社会は支援を惜しんではならない。