あとから振り返った時、日本の政治にとって2025年はどんな年と位置づけられるのだろうか。
先の衆院選で、自民党は公明党と合わせても過半数の233議席を18議席割り込んだ。半数を割ったことのない鹿児島県内4選挙区でも、自民の獲得は1議席にとどまる。
与党と野党が政策ごとに落としどころを探りながらの「熟議」の試行錯誤が続く。
合意形成に向け、これほど与党が四苦八苦するとは。自民一強体制による強行採決に慣れた目には新鮮な風景である。
こうした状況をつくりだした私たち有権者が今年、改めて審判を下す機会が訪れる。7月に想定される参院選だ。結果によっては新たな連立枠組みの出現もあり得るかもしれない。
過去をさかのぼれば、参院選での勝敗がその後の政治を大きく左右してきた。古くは1989年。リクルート事件、消費税導入に大逆風が吹き、野党が多数派に回った。衆参両院の「ねじれ国会」を生み、93年、8党会派の細川政権が誕生した。
2007年の第1次安倍内閣でも、参院選で自民が大敗し不安定なねじれになったことを引き金に、旧民主党が09年に政権交代を果たす。だが10年の参院選では菅直人首相の下、過半数を割り、12年衆院選での自民の政権奪還につながった。
参院選が政治の分水嶺となるのは間違いない。私たちの意思を政治に伝える1票は重い。
■結党70年の節目に
自民の結党は1955年。革新系の日本社会党との二大政党が対立する構図の下、38年間にわたって単独政権を担った。
細川政権発足で、その「55年体制」は崩壊する。小刻みな政界の地殻変動を経て、再び自民一強時代に逆戻りしていたのがこの10年だった。
しかし衆院選での大勝が続いたとはいえ、50%台の低い投票率を思えば、全面的な信任を得ているわけではなかったのだ。自戒を欠いたおごり、緩みの結果、「政治とカネ」の問題に抜本的な改革を望む国民の心情に寄り添えず、決定的な政治不信を招いた。
やまない怒りに慌てて「解体的出直しを図る」と言明した岸田文雄前首相だったが支持率は上向かず、バトンタッチした石破茂首相が衆院選の街頭演説で「深い反省の下、もう一度新しい日本をつくる」と訴えても有権者には響かなかった。批判のガス抜きを狙う疑似政権交代の神通力も、もはや薄れてしまったのか。
今年は結党70年の節目である。自民が日本の針路を方向付ける政党としてふさわしいのかどうか、厳しく問われている。
昨年結党60年を迎え、自民とは小渕内閣当時の99年から連立を組む公明も正念場だ。
「平和の党」を看板に掲げながら、安全保障政策など自民に譲歩する場面が目立つ。連立優先の体質が染みついていないか、再点検が必要だろう。
年末、臨時国会での政治資金規正法再改正を巡っては、政治資金を監査する第三者機関設置法案を国民民主党と共同提出し、衆参両院で可決・成立する異例の動きがあった。参院選をにらんで埋没を回避したいとの狙いが透ける一方、与野党を超えた政策本位の政治への扉を開く兆しも含んでいる。
■通常国会の行方は
参院選に先立つ通常国会は今月24日召集の予定で、会期は150日間だ。
社会保障費、防衛費を大幅上積みし、115兆5415億円という過去最大に膨らんだ2025年度当初予算案の審議が、まずは焦点になる。
臨時国会で通した24年度補正予算案の採決では、総額14兆円弱に及ぶ規模の妥当性に批判が集まりながら、自民は国民民主、日本維新の会の賛成を取り付けた。野党第1党の立憲民主党とは、能登半島支援に向けた修正の要望を反映させることで、25年度当初予算で手を組める余地を残した。
綱渡りの政権運営だ。当初予算も通せるかは見通せない。与野党伯仲の下、野党も国の将来にわたる財政に責任を持って議論に臨んでもらいたい。
国民民主と与党の間では所得税が生じる「103万円の壁」引き上げについて溝が残ったまま。審議過程では明確な方針を打ち出す必要があろう。
自民の反対で先送りされた企業・団体献金の禁止も大きなテーマである。裏金事件の真相解明は欠かせない。これまで棚ざらしになってきた選択的夫婦別姓制度の導入可否など、課題はほかにも山積みだ。
参院選に向けては、実現可能性がある具体的な対抗軸も各党は示さなくてはならない。有権者は国会論戦を通じ、与野党の主張を吟味したい。