社説

[カーター氏死去]平和主義の理想継承を

2025年1月14日 付

 平和外交の象徴が世を去った。世界で戦火が絶えない中、その功績はより重みを増す。昨年末に100歳で死去したジミー・カーター元米大統領の国葬が営まれた。
 第39代米大統領として中東和平を仲介、引退後も世界各地で国際紛争の平和的解決に力を注ぎノーベル平和賞を受賞した。平和主義と人権尊重の理想を再確認し、各国が継承する時だ。
 在任中の最大の功績は、エジプトとイスラエルを歴史的和解に導いた1978年のキャンプデービッド合意だ。イスラエル建国以来、4度の戦争を経験した両国の和解は夢物語と見られていた。だがイスラエルのベギン首相とエジプトのサダト大統領を別荘に招き、2週間近くに及ぶひざ詰めの交渉で双方の妥協を引き出した。粘り強さと誠実な人柄ゆえだったのだろう。
 大統領を1期で退任した後は私財を投じて政策研究所を故郷に創設。世界中で選挙監視や人権問題、感染症対策と幅広い努力を重ねた。
 日本人にとって印象深いのは、米国と北朝鮮の間で核開発問題を巡り緊張が高まった94年、米大統領経験者として初めて北朝鮮を訪問したことだろう。当時の金日成(キムイルソン)主席から譲歩を引き出し、衝突を回避した。クリントン政権は、北朝鮮核施設への先制攻撃すら検討していたことがその後判明した。危機は制裁や軍事力ではなく「対話でのみ解決できる」との信念がもたらした成果といえる。
 米大統領経験者として初めて被爆地の広島を訪れたのもカーター氏だった。84年5月、演説し「核のホロコースト(大量虐殺)阻止」を訴えた。
 2002年のノーベル平和賞は、ブッシュ(子)政権の「力の外交」によるイラク政策への批判が込められた授賞でもあった。紛争は国際協力や国際法に基づく調停で解決すべきだというメッセージを世界に発信した。
 90歳で出した自伝でカーター氏は、米国の世界的な影響力低下を認めつつ、「米国は国民と国際社会にとって、人権のゆるぎない守護者とみなされなければならない」と記した。各国が米国に期待する姿そのものである。
 国葬には、歴代の大統領らが顔をそろえた。弔辞の一つは1976年の大統領選で民主党のカーター氏に敗れた共和党の故フォード元大統領が生前に用意していた。ライバルの絆と、党派による分断が深刻化する米国の現状は対照的というほかない。
 パレスチナ自治区ガザでは戦闘が続き、中東の和平機運は霧散した。北朝鮮も結局、核開発を実現させた。世界は厳しい情勢にある。自国第一の潮流と強権的な姿勢を見せるトランプ次期大統領の就任を前にうろたえず、カーター氏の掲げた理想を見失わないようにしたい。

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