社説

[JR脱線20年]安全確保 不断の努力を

2025年4月26日 付

 乗客106人と運転士が死亡し、562人が負傷した尼崎JR脱線事故から20年となった。ラッシュ時の快速電車が高速で急カーブに進入して脱線。線路脇のマンションに激突して「く」の字に曲がった光景は衝撃的だった。
 背景には、運行遅れにつながるミスをした乗務員に精神的な重圧を与える労務管理や、事故のリスクを軽視したJR西日本の企業風土があった。
 JR発足後最悪の惨事となった事故の教訓をどう継承し、再発防止を徹底するか。安全確保へ不断の努力が求められている。
 事故は2005年4月25日、兵庫県尼崎市のJR福知山線で7両編成の電車が右カーブを曲がりきれず、左側に脱線した。電車は当時の制限時速70キロを大幅に超える約116キロで進入していた。国土交通省航空・鉄道事故調査委員会(当時)は07年に運転士のブレーキ遅れを事故原因と結論付けた。
 当時23歳の運転士は、停止位置を誤り懲罰的な「日勤教育」を受けたことがあった。事故当日は、現場の手前の駅でオーバーランして定刻より遅れていた。日勤教育を恐れた運転士が車掌と指令員の交信に気を取られ、注意がそれたとみられている。
 また現場の自動列車停止装置(ATS)には、速度を超過した場合にブレーキがかかる機能がなかった。導入方針は決まっており、設置されていれば事故を防げた可能性が高い。
 JR西は事故後、再発防止に取り組んできた。ミスした乗務員に義務付けていた日勤教育は、職場によっては草むしりをさせるケースもあり、強い批判を浴びた。「効果に疑義のある内容もあった」として改めたという。新しいATSも設置、ダイヤにもゆとりを持たせる方針へ転換した。「人は間違う」という前提に立った安全対策が進められたのは当然だ。
 しかし、その後も意識の緩みが露呈している。17年には台車亀裂トラブルが起きた。山陽新幹線のぞみで異常音があったのに運転を続けた。新大阪でJR東海に引き継いだ後、名古屋での点検で台車の亀裂が見つかった。破断寸前で脱線の恐れもあった。教訓を生かせず残念というほかない。
 再発防止へ提言を続けた遺族は、惨事の風化を懸念している。JR西は事故後に入社した社員が7割を超えた。過去の出来事とせず自身の問題として安全意識を根付かせるために、当事者の声から学ぶことはより重要となる。
 尼崎の現場は慰霊施設として整備しており、大阪府吹田市には事故車両の保存施設が12月ごろ完成する。社員研修などで活用する予定という。人命に責任を持つ交通事業者の安全意識が問われる事態は後を絶たない。悲惨な記憶と命の尊さを伝えるため、適切に活用されるよう期待したい。

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