社説

[憲法記念日]「戦後」を続けるために

2025年5月3日 付

 政府が引き起こす恐ろしい戦争に二度とさらされないようにしよう、という願いが、日本国憲法の前文に書いてある。
 「やさしいことばで日本国憲法」(マガジンハウス)の憲法新訳を担当した作家、池田香代子さんは前書きにこう記した。
 「この憲法が高らかにうたっているのは、戦争という未曽有の惨事に傷ついた人びとが、命の犠牲を払わされた人びとの願いはこうもあろうかと、万感の思いをこめて未来へと託した夢だ」
 社会全体で「戦争の惨禍」の記憶が薄れていく中で、平和憲法に埋め込まれた「夢」を私たちは忘れてはいないか。
 昭和100年。戦後80年。そして憲法施行78年に迎える今年の憲法記念日である。
 「戦後」を続けるため、一人一人が担う責任の重さを改めて考える日にしたい。

■自衛隊組織の変容
 陸海空3自衛隊を一元的に指揮する防衛省の常設組織「統合作戦司令部」が3月発足した。
 これまでは、大規模災害などが起きてから統合運用の態勢を取る仕組みだった。
 今後は、防衛相命令に基づき、司令官が平時から部隊の状況を把握する。有事の際には戦力配分から作戦実行まで幅広く受け持ち、米軍と運用・作戦面での調整も担う。日本周辺での軍事的圧力に備えて、日米共同対処能力の向上を図る狙いだ。
 「軍事は政治に従属する」という文民統制(シビリアンコントロール)の観点に立ち、適切な部隊運用がなされていくかどうかの監視を怠ってはなるまい。昭和前期、政治を振り回した軍事主導体制が誤りを生んだことを語り継ぐ必要がある。
 1954年に発足し70年超の歴史を重ねた自衛隊は、新司令部発足により、組織の在り方を大きく変えることになる。
 武力の威嚇と行使を永久に放棄し、陸海空軍その他の戦力保持や交戦権の否認を定める憲法9条を持つ日本が、一足飛びにここまで来たわけではない。
 特に、戦後の安全保障政策はここ10年ほど、歴史的な転換が進んだ。
 起点は安倍晋三政権下の2014年7月、9条の解釈を変更して「集団的自衛権」の行使を認めた閣議決定にさかのぼる。自衛隊が活動のよりどころとしてきた「個別的自衛権」「専守防衛」を揺るがす根本的な見直しだった。
 この新解釈を具体化するための安保関連法が翌15年9月に成立する。時の政権が「存立危機事態」と判断すれば、日本が直接攻撃されていなくても他国の戦争に参戦できるようにした。
 岸田文雄政権発足後の22年には、安保関連3文書を閣議決定。27年度までの5年間で、総額約43兆円もの巨費を防衛力整備に投じると決めた。
 9条が繰り返し改正を取りざたされる一方で、正式な改憲手続きを踏むことはなく、政府解釈が繰り返し変えられてきた。
 この結果、安保政策と憲法との整合性に関心が薄れつつあるのではないか。
 「憲法が美しい言葉を連ねたスローガンのようになり、憲法の下で何が許され、何が禁じられているのかがもはや分からなくなっている」(境家史郎・東京大教授=日本政治論)との指摘を、重く受け止めなければならない。

■国民に求める決意
 こうした状況の中、政府は22年の国家安保戦略に反撃能力(敵基地攻撃能力)の保有を盛り込み、「国家としての力の発揮は国民の決意から始まる」と明記した。
 国民の「理解と協力」を得て、国民が安保政策に「自発的、主体的に参画できる環境を政府が整えることが不可欠だ」とも書き込んだ。官民で国防態勢を構築しようとの意欲がにじむ。
 憲法改正を巡り、石破茂首相は戦後80年の節目に絡めて議論促進を要請。現行の憲法9条1、2項を維持した上で、自衛隊を追記する自民党の論点整理を岸田前首相から引き継ぎ、改憲の優先事項として取り組む考えを示した。そうであるなら今夏の参院選では争点化し、正面から議論を深めてもらいたい。
 憲法は国民投票で過半数が賛成すれば改正される。主権者である一人一人が日本の将来を決める。「決意」を求める国に対し自分自身の問題として関心を持ち、声を上げねばならない。
 多くの旧軍人らを取材してきたノンフィクション作家保阪正康さんは「平和憲法」の表現を実は疑っている、と語る。
 「戦後日本は平和憲法とともに始まったわけですが、そこで立ち止まっている。これでいいのか。米国と軍事を一体化することに疑問を挟まず、平和憲法に頼ることに大きな誤りがないか」「憲法9条というのは先にある目標ですよ。平和憲法に『していく』プロセスが大事なのです」。規範と現実のずれをどうするのかが問われている。

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