東京電力福島第1原発事故は未曽有の被害を生んだ。2011年3月の発生から14年超がたった今もなお、福島県だけで2万4000人余りが避難生活を強いられ、廃炉作業も困難を極める。
事故当時の東電経営陣の責任を問い、会社への賠償支払いを求めた株主代表訴訟で、東京高裁は、地裁が下した約13兆円の賠償命令を取り消した。株主側は不服として上告する方針だ。
「人災」は否定された。しかし東電はもとより各電力会社の経営陣が安住するのは許されまい。国と電力会社が一体で推進する「国策民営」の原発政策において、事故責任をどこに負わせるのか。この議論をないがしろにしたまま進む「原発回帰」を危惧する。
旧経営陣は巨大津波地震を予見できたか。その上で事故を回避できたか-。2点が訴訟の主な争点だった。
予見可能性を見るに当たっては政府機関が02年に公表した地震予測への評価が、一審判決(22年7月)と今回の控訴審ではっきり分かれた。
一審で東京地裁は「科学的信頼性がある」とし、巨大津波は予見できたと認定。主要建屋などの浸水対策工事をしていれば重大事態を避けられた可能性は十分あった、として賠償を命じた。原発事故で旧経営陣個人に巨額の賠償責任を認めた初の司法判断だった。
今回の控訴審で旧経営陣側は、地震予測は信頼性を欠くと主張した。根拠に乏しいと指摘する高裁判断は、電力会社側に立ったものといえるだろう。
福島第1原発事故を巡り、最高裁は22年6月、避難者らによる国家賠償請求訴訟で国の責任を否定。「防潮堤などを東電に設置させても、実際の津波は想定より大きく、事故は防げなかった」と結論付けた。
被災者らの告訴・告発を受け、業務上過失致死傷罪で強制起訴された旧経営陣の刑事裁判でも、今年3月、巨大津波襲来は予見できなかったとして無罪が確定している。
原子力損害賠償法は、電力会社の賠償責任に上限を設けない「無限責任」や、過失の有無にかかわらず賠償責任を負う「無過失責任」を定める。国や経営陣個人の責任が問われない司法判断が続いても、東電自体の責任は免れないことを肝に銘じてほしい。
事故のもたらす甚大な被害を思えば、制度の見直しも必要ではないのか。今回の株主代表訴訟で高裁が「具体的なリスクを広く捉え、事業者の取締役には一層重い責任を課す方向で検討すべきだ」と言及した部分には、その問題意識が垣間見えた。
折しも、運転開始から60年を超える原発の稼働を可能にする法律が全面施行された。安全最優先の姿勢を揺るがせにしてはならないと同時に、原発には過酷事故のリスクがあることに改めて向き合っておかねばならない。