日本の大型ロケット「H2A」の最終号機となる50号機が、南種子町の種子島宇宙センターから打ち上げられた。2001年の初号機から24年間、日本の宇宙開発を支えた。
打ち上げの失敗は1度のみで成功率は世界トップレベルの98%に達した。社会のインフラとなる多様な人工衛星や探査機を宇宙に運んだ功績は大きい。地元経済や雇用への波及効果ももたらした。
基幹ロケットの役割は、23年にデビューした「H3」に引き渡された。民間を含めた顧客ニーズに柔軟に対応できる国際競争力の確立が課題となる。
液体燃料を使う大型ロケットは、1975年の「N1」以来、米国の技術を倣った。H2Aは、94年に純国産化を実現した「H2」の技術を基に、低コスト化や量産化を追求した。
衛星ビジネスの国際市場参入を目指し、打ち上げ費用をH2の半分の約100億円に削減。部品の数を減らし、民生品や海外製品も調達し実現した。
暮らしに欠かせない気象衛星「ひまわり」や、カーナビやスマートフォンで利用する位置情報の電波を発する測位衛星などを宇宙に届けた。2014年に小惑星探査機「はやぶさ2」、23年には日本初の月面着陸に成功した探査機「SLIM」も送り、日本の宇宙科学技術の進歩に貢献した。
唯一失敗したのは03年の6号機だ。補助ロケット2本のうち1本が切り離されず指令破壊された。機体のシステム全体を徹底的に見直し、次の7号機打ち上げまでに1年3カ月をかけた。失敗から教訓を得て、細かな異常でも検証し、改善を重ねてきたことが、高い信頼性につながったといえる。
打ち上げ事業は07年に宇宙航空研究開発機構(JAXA)から三菱重工業に移管、効率化を進めた。だが、世界のライバル機との競争には及ばず、企業や外国政府からの受注は打ち上げ50回のうち5回どまりだった。
衛星打ち上げ市場は、昨年130回以上の打ち上げをこなした米スペースXの再使用型ロケットが席巻する。H3は、コストと使いやすさがかぎだ。H2Aから半減の50億円を目指すのは補助ロケットを使わない機体で、運べる重量が限られる。需要を見据えた冷静な戦略が求められる。
事実上の偵察衛星である情報収集衛星打ち上げも、H2Aが担ってきた。安全保障上の役割が強調されるが、宇宙の平和利用や公開の原則について議論の余地は大きい。
50号機には、南種子町の「ありがとう!」のロゴや公募の応援メッセージが貼られた。島民の協力が実績を支えてきた。今後、H3は打ち上げ数の確保が必要で、種子島の発射場では老朽化した施設の改修が予定される。「宇宙のまち」の発展にも期待したい。