1945年8月15日、天皇による終戦詔書の朗読録音がラジオで流れ、「ポツダム宣言」受諾が「帝国臣民」に告知された。31年の満州事変が盧溝橋事件につながり日中戦争に突入し、行き詰まった日本軍が41年、米ハワイ真珠湾と英領マレー半島を攻撃して始まった太平洋戦争の終結だった。
詔書文案の作成に一悶着(ひともんちゃく)あったことが「日本のいちばん長い日」(半藤一利著)に詳しい。
もはや戦争に勝算はないとして、米内(よない)光政海相らは原文の「戦勢日に非にして」(日に日に劣勢になって)というくだりを受け入れる。だが阿南(あなみ)惟幾(これちか)陸相は断固反対した。「これでは今までの大本営発表が虚構であったことになる。それに戦争は敗(ま)けてしまったのではない。ただ現在好転しないだけ」と訂正を主張。最終的に「戦局必ずしも好転せず」と変えられた。
結果、詔書には「降伏」や「敗北」の言葉が出てこない。歴然とした日本の敗戦は、あいまいな「終戦」に置き換えられた。
東京湾に停泊する米戦艦ミズーリ号で降伏文書に調印した翌9月の2日は、米国人には対日戦勝記念日だが、日本人の記憶からは消えていった。
現実を見ない自己欺瞞(ぎまん)。底の知れない無責任。戦後日本はここから始まった。
■占領国が同盟国に
戦争の総括ができないまま、「平和と非戦」に確信が持てないままに80年が過ぎた。
日本は、米軍の間接統治による占領期を経た後も、米国のくびきから逃れることができなかった。51年9月、対日講和条約に調印し主権を回復すると同時に、日米安全保障条約を結び、日米同盟を基軸とする再出発のレールが敷かれた。
安保条約に基づく「日米地位協定」は、駐日米軍の法的地位を定めるものだ。刑事手続きを含む国内法が米軍関係者に原則適用されないなど、治外法権状態を生む原因になっている。
協定改定は石破茂首相の長年の持論だった。だが日米同盟への配慮か、就任後は口をつぐむ。現実に米軍基地が集中する沖縄に負担を強いているのは明らか。改定を求める声に応えたいという強い政治的意志が日本側にあれば、これまでも可能な局面はあったはずではないか。
治外法権状態の改善は進まない一方、安倍晋三政権下で集団的自衛権行使を認める安保関連法が2015年に成立。22年には反撃能力(敵基地攻撃能力)の保有を初めて明記した安保関連3文書が、岸田文雄政権下で策定された。軍拡を進める中国、ロシアを念頭にした日米同盟強化の取り組みにアクセルがかかる。
「西太平洋のあらゆる不測の事態で日本は最前線になる」。第2次トランプ米政権発足後、中谷元・防衛相と初会談のため今年3月に来日したヘグセス国防長官の発言は脅しのようだった。日本に対し防衛費負担増を求める発言も米側から相次ぐ。
米国は、海洋進出の野心を隠さない中国への警戒を強める。台湾、人権、先端技術を巡る日米と中国のあつれきは簡単に解消しないだろう。
しかし日本は決して大国の争いに巻き込まれてはならない。日本の中国体験は長い。深い陰影を刻む加害の過去を忘れず、そこから生まれる知恵と洞察から、対立しつつも共存する道を探るべきだ。
■米国と自民の陰り
トランプ大統領の米国は、権益拡大のためなら軍事、経済圧力も辞さない姿勢を見せる。国連が憲章で掲げる「紛争の平和的解決」の理念とも相いれない。米国の強さを支えていた自由、民主主義、法の支配などにも関心がないようだ。世界から一目置かれる「米国の世紀」は終わったと言えよう。
1955年結党以来、断続的ながら米国と緊密な関係を築いてきた自民党も漂流している。
今年7月の参院選では、連立を組む公明党と合わせた票が過半数を大きく割り込んだ。衆参両院で少数与党となり、新たな枠組みの模索が始まるだろう。
国内政局が不安定では外交もおぼつかない。近視眼的な政治から早く抜け出さねばならない。戦後日本を動かした米国と自民党の双方に陰りが見えるいま、私たちは岐路に立つ。
1945年を80年さかのぼると江戸末期の1865(慶応元)年に当たる。薩摩藩留学生が英国へ渡った年だ。鎖国から開国へ。明治維新へ。新しい歴史が始まろうとしていた。さまざまな前進は「戦争の時代」で無残に打ち砕かれた。
きょうから80年後、22世紀に踏み出した地点から振り返る2025年はどう評価されるのか。真の「平和と非戦」を手にする「新しい戦後」をつくれるか。その一歩を踏み出したい。