作業台船の上に引き揚げられた機体の一部=23日午後、西之表市国上沖
日本戦没者遺骨収集推進協会の調査団は23日午後、鹿児島県西之表市国上の喜志鹿崎(きしがさき)沖で、旧日本海軍の九七式艦上攻撃機(九七艦攻)の一部を海底から引き揚げた。台船に移し、遺骨があるか確認する。
終戦から76年。遺骨調査は15日に着手。当初21日に引き揚げを予定していたが、海上のしけで作業が難航し遅れた。
日本戦没者遺骨収集推進協会などによると、機体は喜志鹿崎の北数百メートルの沖合、水深約18メートルの砂地に裏返った状態で、両主翼の半分を失い、操縦席が砂に埋まっている。3人乗り機体の残存の長さは8.8メートル、幅は7.3メートルという。
【九七式艦上攻撃機】1937(昭和12)年に日本海軍に採用された航空母艦搭載用の3人乗り攻撃機。41年12月8日の米ハワイ・真珠湾攻撃の主力を担った。太平洋戦争末期には旧式化し、45年4月から始まった沖縄航空作戦では、串良航空基地(鹿屋市)から出撃した特攻隊に多数使用された。同基地を拠点とした通常攻撃の夜間雷撃隊でも使われた。