グリーンピア指宿落札に関する会見に臨む稲盛和夫氏=2004年7月8日、鹿児島市内のホテル
京セラやKDDIを創業し、日本航空(JAL)再建に尽力した京セラ名誉会長の稲盛和夫さん=鹿児島市出身=が8月下旬、亡くなった。日本を代表する経済人になってからも鹿児島を愛し、支えた「経営の神様」。薫陶を受けた人々に、心に残る教えや思い出を聞く。
■新日本科学会長兼社長 永田良一さん(64)
稲盛さんが記者会見に同席してくれたことがある。年金資金運用基金から、年金保養施設のグリーンピア指宿(現メディポリス)を購入した2004年7月のことだ。
落札額は6億円でも、年金保険料200億円が注ぎ込まれた施設。ずさんな運営への憤りも相まって「不当に安すぎる」との声が起こった。会見で説明することにしたが、私もうまく答えられるか不安だった。この施設での共同研究を予定していた鹿児島大学で、経営協議会委員を務めていたのが稲盛さん。同席をお願いすると、快諾してくれた。
大物の登場に、会見場の空気は一変した。稲盛さんは「無駄な投資の結果」と国や官僚を痛烈に批判し、私を守ってくれた。
稲盛さんとの交流は30年ほど前から。この入札の前に、彼が同じ物件を買うとのうわさを聞いて、京都へ相談に行った。本人に確かめると「買わない」と即答。グリーンピアを新たな切り口で再生したいと伝えると「頑張れ」と背中を押され、覚悟を決めた。
稲盛さんはよく「経営は石の崖を登るようなもの」と話していた。この時も「つかんだ石が崩れないかどうか、よく確認しろよ」と諭された。不安定な石を手がかりにすると、崖そのものが崩れてしまう。大勝負を前にした私に「慎重であれ」と戒めてくれたのだ。
共に海外進出で苦労した経験があり、親子ほど年が離れた私を何かと気に掛けてくれた。特に「数字を把握しろ」と繰り返し言われた。稲盛さんがいつも胸ポケットに差していた赤ペンで資料を細かくチェックする姿に倣い、私もすべてのデータを頭に入れている。
懐が深く、人の幸せを自分の幸せとして喜んでくれる人だった。本当にお世話になったと感謝している。
(連載「故郷への置き土産 私の稲盛和夫伝」より)