魚雷攻撃を受けて沈没した「りま丸」(戦没した船と海員の資料館提供)
旧日本軍の認識票とみられる金属板が、鹿児島県西之表市馬毛島で見つかった。市は19日、太平洋戦争中に米潜水艦に撃沈された陸軍徴用船「りま丸」(6989トン)に乗船した将兵が着けていた可能性があるとし、厚生労働省に照会したと明らかにした。回答には6カ月以上かかる見通し。
金属板は縦4.6センチ、横3.4センチの楕円(だえん)形。「潮八九八四」の刻印があったことから、りま丸に乗船していたとされる独立混成第19旅団(通称潮部隊)との関連を考えたとしている。
昨年10月11日、防衛省の許可を得て島内全域を対象に文化財調査した際、島南西部の砂浜で発見した。同島で進む自衛隊基地整備の事業区域外。周辺では人骨片やボタン、長さ15センチ弱のくぎのような金属片も見つかった。ただ「認識票」との関連を裏付ける遺物はなく、戦没者のものかどうかは分からないという。人骨は推定で死後10年以上が経過していた。
りま丸は1944(昭和19)年2月、陸軍部隊など約3300人を乗せて福岡・門司港から香港へと向かう途中、東シナ海上で魚雷攻撃を受けて沈没。2500人超が戦死し、種子島や馬毛島に遺体が漂着した。
厚労省は5年前、馬毛島の元島民の証言を基に遺骨確認調査を実施したが、戦没者と特定できる人骨はなかった。市社会教育課の鮫島斉文化財係長は「過去にない手がかりが見つけられて良かった」と話した。