鹿児島信用金庫城西支店で、腰までつかって書類を運ぶ職員=1993年8月6日、鹿児島市(鹿児島信用金庫提供)
〈8・6水害30年 あの日を語る〉8月6日午後、鹿児島信用金庫伊敷支店(鹿児島市下伊敷1丁目)の営業担当だった藤井浩平さん(54)=融資部審査役=は、バイクで外回りしていた。身の危険を感じるほどの雨量だった。甲突川と並行する国道3号沿いの支店に戻った後の午後5時ごろ、店内に水が入ってきて、上司がモップではき出していた。
店内の機材や端末を2階に上げたり、現金や借用証書など重要書類を金庫にしまったりした。「なくなってはならないもの。ぬれたとしても流出だけはしないよう必死だった」。みるみるうちに水に漬かっていく自身の車を横目に、業務遂行に集中した。
しかし、浸水のスピードは想定を超え、午後6時半ごろには胸の高さになった。職員10人は2階に避難。窓から見える国道は川のようになり、プロパンガスのボンベなどあらゆるものが流れていた。「外からの情報もない。家族の安否も分からずパニック状態。とても不安だった」。水が引き始めたのは午後10時ごろ。深夜になってようやく帰路に就いた。
高見馬場支店(同市西千石町)で営業担当だった石踊裕之さん(57)=企業サポート部主任調査役=は、深夜、緑ケ丘町にあった自宅へ国道3号をバイクで戻った。翌朝、復旧作業のため高見馬場支店に向かった。明るくなった国道は一面泥まみれでバスは横倒しになっていた。「嫌な臭いと異様な光景が脳裏に焼き付いている」
同金庫は城西支店(同市薬師1丁目)、当時の武之橋支店(同市新屋敷町)でも浸水した。復旧活動は職員総出だった。当時は銀行法で災害を理由に臨時休業できず、月曜日の9日には普段通り営業しなければならなかった。浸水した支店は汚れがひどく、契約書など何百枚もの重要書類を本部に運び、新聞紙の上に1枚1枚広げて乾かした。
「あんたたちはもう仕事できるの」。9日に開店すると客から驚かれた。車の浸水で移動手段を失った住民からは修繕費などで「お金を持ってきてほしい」という要望も多く、藤井さんは「被災直後から走り回っていた」と振り返る。
災害後、事前対策や被災後の動きなどを取り決め、水、自家発電用のバッテリーの備蓄、優先復旧店舗の指定など現在の事業継続計画(BCP)につながる取り組みが始まった。災害時にいかに支店機能を維持するか。備えの大切さを思い知った。
■メモ 8・6水害では、甲突川の水位が短時間で上昇した。県河川課によると、岩崎橋の水位は午後3時に2メートルに満たなかったが、午後6時ごろには堤防の高さと同じ約5メートルに達し、午後6時10分にあふれた。