慰霊式で献花台を見つめる広島県原爆被害者団体協議会事務局長の前田耕一郎さん=広島市中区大手町
米軍の原爆投下から78年となる8月6日の広島「原爆の日」の前日、広島市の県原爆被害者団体協議会事務所で慰霊式が開かれた。黒いネクタイを締めた事務局長の前田耕一郎さん(74)=鹿児島市出身=は献花した後、背筋を伸ばし静かに正面を見つめた。
鹿児島大学卒業まで鹿児島市で育った。小学3年の時、親戚がいる広島市に行き、訪れた資料館が忘れられない。溶けてくっついたガラス瓶、焦げた子どもの服など生々しい展示に圧倒された。
広島大学大学院に進み、広島市職員を経て国立広島原爆死没者追悼平和祈念館や原爆資料館の館長を歴任した。「被爆を経験していない自分が携わっていいのだろうか」。戸惑いもあったが、幼少期に見た原風景を胸に「ヒロシマ」と向き合い続けている。
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資料館の副館長に就任したのは1997年。壮絶な体験を伝える被爆者と初めて深く接し、自分と同じように喜怒哀楽があると感じて親近感が湧いた。「普通の人からありふれた日常を一瞬で奪ったのが原爆だと実感した」と振り返る。
「モノ」で原爆のむごさを伝える資料館に対し、2002年に開館した祈念館は被爆体験記など10万点以上の「キオク」を収める。初代館長の前田さんは約4年の在任中、膨大な資料を目の当たりにしてきた。わが子が帰らぬと知りながら毎日玄関で待つ母の悲痛など、今も忘れられない。
犠牲者の何倍もの悲しみ、憎しみが消えずに残る被爆の実態。館長として再び資料館に戻り、アフガニスタンのカルザイ大統領(当時)など各国首脳を案内する際にも、伝えることを心がけてきた。
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今年5月に広島市で開かれた先進7カ国首脳会議(G7サミット)は、被爆者を中心に批判の声が上がった。各国首脳は資料館を視察したものの、共同文書は核兵器禁止条約に触れず、核抑止を肯定する内容だったからだ。
現在、県被団協事務局長として被爆者の証言活動を支援する前田さんは「首脳らが被爆の実相に触れた点は評価できる」とする反面、「核廃絶へ前進したとは言えない」と断じた。
ロシアがウクライナに侵攻し、核兵器をちらつかせるなど世界情勢は緊迫度を増す。呼応するように日本では自衛隊の部隊増強が続く。前田さんは米軍との協力体制が強化される故郷・鹿児島が気がかりという。
「防衛力を突き詰めた先に『核兵器』がある。被爆者が年々亡くなっていく中、核戦争への危機感が薄れているのではないか」。ヒロシマから被爆者が発信する意義は重みを増している。
(連載「果てぬ涙 かごしま終戦78年」より)