1500人が死んだ対馬丸撃沈は極秘扱いだった。荒れ狂う海、フカの群れの襲撃…6日後、漂着した村で救助された10歳の記憶。壮絶体験、140点の絵で伝える

2023/08/20 07:33
撃沈された対馬丸から荒れた海に投げ出される子どもたち
撃沈された対馬丸から荒れた海に投げ出される子どもたち
 太平洋戦争中の1944年8月に学童疎開船「対馬丸」が鹿児島県十島村悪石島沖で米潜水艦に撃沈され、22日で79年になる。乗っていた上原清さん(89)=沖縄県うるま市=は鹿児島県大和村に漂着し、救助された。壮絶な体験をつづった手記「対馬丸沈む」で挿絵も描き、1500人近くが死亡した悲劇を伝える。約140点に上る絵(対馬丸記念館所蔵)の一部を紹介する。

 対馬丸が魚雷攻撃を受けると、当時10歳の上原さんは甲板から海へ飛び込んだ。他の少年3人といかだに乗り、台風の接近で大荒れの海を漂った。真夏の太陽が照りつけ、フカの群れが迫ってきたこともあった。「(幼少時に亡くなった)母親が見守ってくれたと思う」としみじみ語る。

 漂流して6日目。大和村の海岸に流れ着き、今里集落の住民から手厚い介護を受けた。「飲まず食わずでよく生き残った。とても不思議」と振り返る。

 対馬丸が撃沈されたことは極秘扱いで、警察関係者に厳しく口止めされた。疎開を勧めて惨劇を引き起こした国への怒りがあったものの、「ずっと話せなかった」と明かす。その後「助かった者に伝える役割がある」との思いが募り、小学校の校長を退職後にようやく重い口を開いた。

 手記をまとめるに当たり「文章だけでは子どもに通じない」と考えた。2年ほど絵画教室に通ったという。10年余りかけて2007年、対馬丸記念会から発行した。「もう二度とこんなことがあってはいけない。平和な時代をつくらなければ」と訴えた。

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