〈徳田虎雄さん死去〉自民の重鎮も認めた迫力と情熱「巨星堕つ。虎雄は死して志を残した」 想像を絶する激しい選挙戦、医療福祉の革命児…盟友たちは別れを惜しむ

2024/07/12 06:00
2003年11月10日、4期目の当選を果たし、家族や支持者らの前であいさつする徳田虎雄さん=鹿児島市和田1丁目
2003年11月10日、4期目の当選を果たし、家族や支持者らの前であいさつする徳田虎雄さん=鹿児島市和田1丁目
 10日、86歳で死去した徳田虎雄さんは地域医療に貢献する一方、国政で自由連合を率い、医療福祉の充実を訴えた。「革命児」「巨星」。訃報に接した県内外の政界関係者は11日、エネルギッシュな活動に最大限の賛辞を贈り、別れを惜しんだ。

 「巨星落つ。虎雄は死して志を残した」。元東京都知事の故石原慎太郎氏とともに、長年の盟友だった元衆院議員の亀井静香氏(88)=東京=は宙を見つめた。「話すだけで風圧を感じるほどの迫力があり、まさに南海の虎。この男なら一緒に行動したいという共感があった」。二人の関係を「虎と亀の友情」と言い表し、「ああいう男はなかなか出てこない」と悔やむ。

 徳田さんが衆院選に初出馬した1983年当時、地盤の奄美群島区は全国唯一の1人区。93年の合区まで自民党の故保岡興治氏と「保徳戦争」を繰り広げた。「今では考えられない過激な選挙戦だった」と語るのは保岡氏の秘書を務めた金子万寿夫元衆院議員(77)。「ただ、あの時代に奄美の島々に病院が建ったのは間違いなく徳田さんの功績。同郷の人間として尊敬している」とたたえた。

 旧社会党で衆院議員を5期務めた新盛辰雄氏(97)=鹿児島市=は、徳田さんが90年に初当選した当時を知る先輩議員で「とら年の私と名前に『虎』が入っている彼」と懐かしむ。頼まれて国会を案内、各政党へのあいさつ回りにも連れて行った。93年衆院選では同じ選挙区で戦って悔しい思いもしたが、「『医療で奄美の人を救済したい、その輪を全国に広げるんだ』と語り、エネルギーが有り余っていた。鹿児島にはなくてはならない人だった」。

 元参院議員の園田修光氏(67)=鹿児島市=は、徳田さんと息子・毅氏の2代と衆院選を戦い「奄美での支持は絶大で大変な思いをした」と振り返る。参院全国比例に挑む際には打って変わって徳田さんの支援を得て、全国の徳洲会病院にあいさつする手はずを整えてくれたと明かす。「医療や介護の現状を勉強させてもらった。政治の枠にとどまらない世界観を持った人だった」と評した。

 自民の森山裕総務会長(79)は「離島や過疎地をはじめ日本の医療を変えた革命児」と称賛。選挙こそ激しかったが、「(人としては)敵味方という感じではなく、私の自宅を訪ねて来て話すこともあった」としのぶ。質素な身なりが印象的とし、「これまで本当によく頑張ってこられたなと思う」と、闘病生活をねぎらった。

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