2度目の国政選挙となる。知事を退いてから「雨の日も雪の日も正月も」続けるつじ立ちは、すっかり自身のトレードマークになった。
現場主義を貫き、知事時代から強みとするフットワークを生かして南薩や奄美群島を回る。「政治の主役は国民」を信条に、年金暮らしの高齢者やサツマイモ基腐(もとぐされ)病に苦しむ若手農家の声を、国会の場で「大臣にぶつけてきた」。
無所属でありながら、国会では自民党会派に所属。曲がりくねった国道226号の改良に向け、自民議員と勉強会を立ち上げて陳情を重ねた。「与党の一員として活動することで、国民の要望に応えられる」と強調する。
在京テレビ局の政治記者として30年近く勤務した。永田町で16人の総理大臣を取材、首脳会議にも同行して各国を訪問した。「桜島をはじめ、恵まれたものがあるのに県民所得が低い。経験と人脈を生かせないか」と古里に思いをはせるようになったのが政治家としての原点という。
あまり足を運べなくなったが、実は図書館が好きだ。タイトルを眺めてゆっくり館内を歩くと、「必ずその時の自分にぴったりの1冊が見つかるはず」と勧める。