阪神大震災当時を振り返って語り合う鹿児島県関係者=15日、神戸市中央区の神戸沖洲会館
6434人が犠牲になった阪神大震災は17日、発災から30年を迎えた。節目となる同日は兵庫県内各地で追悼行事が行われ、県などが主催する追悼式には天皇、皇后両陛下が出席される。神戸市中央区の公園「東遊園地」では発生時刻の午前5時46分に市民が灯籠を囲んで黙とうをささげた。鹿児島県人会も、同区の大倉山公園にある慰霊碑前で追悼式を開く。
犠牲者の中には神戸鹿児島県人会連合会が把握する県関係者203人が含まれる。追悼式は年に一度、顔を合わせて当時を思い返す貴重な機会だ。
「人と話しているとだんだん思い出してくるが、年々記憶は薄れていく」。両親が知名町出身の平植勝さん(85)=神戸市=は慰霊碑に刻まれた妹の名前を見るために、つえを突きながら毎年追悼式に参加する。「実家の向かいに住み、母の面倒を見てくれていた。なかなか火葬してもらえず、(遺体が安置された)体育館に付き添って寝泊まりした」と当時を思い返す。
鹿児島出身の被災者も高齢化が進み、教訓の継承が課題となる。
与論町立長出身の兵頭初子さん(75)=尼崎市=は地震の揺れが体に染みついているという。「家がきしむ不気味な音。体が振り回され、逃げようとしても足を取られて動けなかった。今でも家が揺れると飛び起きてしまう」と言い、20代の孫3人に被災体験を語っている。
神戸鹿児島県人会連合会の後村道男会長(78)=西宮市=は「30年もたつと世代が変わり、記憶が薄れていく。下の世代に教訓を伝えていく活動に力を入れていかなければならない」と話した。