第六垂水丸の事故当時を振り返る田尻正彦さん(右)=垂水市立図書館
太平洋戦争中の1944(昭和19)年2月6日に垂水港沖で転覆沈没した第六垂水丸について語る会が22日、鹿児島県垂水市の市立図書館であった。生存者も参加し、事故時の状況や社会情勢についての話に参加者は耳を傾けた。
垂水史談会と同市教育委員会が事故があった2月に毎年同館で開く資料展示に合わせて開催する。市内外から約40人が参加。「戦争を語り継ぐ集い」(鹿児島市)世話人の山下春美さん(57)が体験者から聞きとった証言などを紹介した。
実際に乗船した鹿屋市大手町の田尻正彦さん(100)が講演し、乗船から転覆までの様子、事故後の港周辺の状況を振り返った。「浜には亡くなった人が並べられ、むしろがかけられていた。サイレンが鳴り響き、近くの海軍基地から軍人がやってきて、救出された人に蘇生措置を施していた」と話した。
田尻さんは自力で浜まで泳いだ後、「船長宅で奥さんが風呂を貸してくれた」という。語る会に参加していた船長のおい、森山稔さん(83)=垂水市柊原=は「船長の妻のフデさんは優しい人だった。自分が物心ついた頃は、事故のことは家族の中で禁句のようになっていて知らなかった」と応じた。
事故当時は他の船が軍に徴用され、燃料不足などにより、10往復以上あった便は4往復に減っていた。さらに当日は鹿児島市で出征する兵士との面会日で、定員の倍を超える700人以上が乗船したとされる。船は出港後間もなく、かじを切った際にバランスを崩し転覆。約540人が犠牲になったとされる。