地下鉄日比谷線の列車脱線衝突事故発生から25年となり、「安全の誓い」を黙読する東京メトロの山村明義社長(右から2人目)と川澄俊文会長=8日午前9時2分、東京都目黒区(代表撮影)
営団地下鉄(現東京メトロ)日比谷線の電車が脱線し、南日本新聞社社員の槙保代さん=当時(37)、鹿児島県南大隅町出身=ら乗客5人が死亡、64人が重軽傷を負った事故から8日で25年となった。東京都目黒区の事故現場近くの慰霊碑では、東京メトロ幹部が犠牲者を追悼し安全性向上に最優先で取り組むことを誓った。
発生時刻の午前9時1分に黙とう。「大事故を繰り返さない」との安全の誓いを黙読した。山村明義社長は「この場所に立つと事故に遭われた方々の無念や悔しさがひしひしと伝わる」と語った。事故後に入社した社員が7割を超え、風化が懸念されるが、「安全確保は鉄道事業者の最大の使命。車両・設備の安全水準や社員の安全意識の向上に努めていく」と強調した。
出勤途中に事故に巻き込まれた槙さんのいとこ平久美子さん=埼玉県=は「生きていれば62歳。きれいでおしゃれだった保代さんはきっと若々しくすてきに年をとって笑っていただろうと思うと涙があふれる」とし「事故で犠牲になった人たちのことを忘れないでほしい」と訴えた。
事故は2000年3月8日、中目黒-恵比寿間で発生。中目黒方向に走行中の電車の最後尾がカーブで脱線し、反対側を走る電車と衝突した。
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槙保代さんの母で南大隅町佐多伊座敷に暮らす黒木クニ子さん(87)は、保代さんを亡くした悲しみが今も癒えない。墓を掃除して手を合わせ「やっちゃん、お墓きれいになったからね」と語りかける。
墓参りは毎日続けていたが、昨年脳梗塞を発症し、今は調子のいいときに出向く。今年は6日に参ったが、命日の8日は天候不良で行けなかった。
「何でこんな事故に巻き込まれたのか。あの子のことを思うと苦しい」。今も開けられない荷物があり、涙がこみ上げる。それでも、「周囲からもきれいな墓と言われている。元気なうちは続けたい」と前を向く。