「ごう音とともに畳表がはじけ飛んだ」…1945年8月6日、ガンカメラが捉えた米陸軍機の機銃掃射〈大分の宇佐市塾が米軍撮影映像公開〉

2025/03/23 06:00
米陸軍機に機銃掃射を受ける岩川駅(写真右上)。赤い曳光弾が迫る2階建て建物が澤写真館=1945年8月6日(豊の国宇佐市塾提供)
米陸軍機に機銃掃射を受ける岩川駅(写真右上)。赤い曳光弾が迫る2階建て建物が澤写真館=1945年8月6日(豊の国宇佐市塾提供)
 豊の国宇佐市塾が22日公開した米軍撮影映像には、1945(昭和20)年8月6日、米陸軍機が国鉄志布志線岩川駅や周辺の民家を機銃掃射するガンカメラ映像もあった。曽於市大隅町岩川の写真館主、澤俊文さん(84)は空襲時、駅近くにあった写真館にいて、建物を突き抜けた銃弾が体の脇30センチをかすめた。「ものすごいごう音とともに畳表がはじけ飛んだ。あの時の恐ろしさがよみがえる」と映像に見入った。

 同塾によると、攻撃したのは沖縄・伊江島飛行場に展開していた米陸軍第301戦闘航空団のP47戦闘機。同航空団は同日、100機以上で都城を焼夷(しょうい)弾と機銃掃射で空襲。帰還途中に一部が、残弾を使い、岩川駅など志布志線沿線のめぼしい施設を攻撃した。岩川駅にいた乗客ら3人が弾に当たって亡くなった。

 映像では駅の手前左側にある2階建ての写真館にも、曳光(えいこう)弾がまっすぐ向かっているのが見える。4歳だった澤さんは「空襲後、家の庭にはものすごい数の曳光弾が落ちていて、父が防火水槽に入れるとジュッと音をたてた」と振り返った。「都城のように焼夷弾を落とされていたら、命はなかっただろう。映像を見て、運がよかったとあらためて感じる」と話した。

 宇佐市塾は戦後80年の今年、複数回の映像公開を計画している。解析を行う同塾の織田祐輔さん(38)は「節目の年に、映像を通し戦争の悲惨な実相を知ってほしい」と話している。

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