子どもの前では笑顔でも「ストレス爆発で号泣した」…9年前の熊本地震 産婦人科部長の日記につづられた本音

2025/04/14 14:45
9年前の熊本地震を振り返る高木みかさん=熊本市の国立病院機構熊本医療センター
9年前の熊本地震を振り返る高木みかさん=熊本市の国立病院機構熊本医療センター
 最大震度7を2度観測した熊本地震は、14日で前震から9年がたった。国立病院機構熊本医療センター(熊本市)の診療部長・産婦人科部長の高木みか医師(52)=鹿児島県鹿屋市出身=は当時、6歳と3歳の息子2人を抱えながら医療現場を支えた。日記には「家中崩壊」「ストレスが爆発して大声で泣いた」と被災時の心境がつづられている。

 前震が襲ったのは長男が小学校に入学した2日後。自宅マンションの中の物は全て倒れたが、子どもたちは幸い眠ったままだった。本震の4月16日未明は2人を抱えて車の中に避難した。「寒いし、揺れるし、生きた心地がしなかった」。夜が明けても余震は続いた。交番勤務の警察官だった夫は駐車場から出勤した。

 必要な物を部屋へ取りに戻ると、物が散乱し靴を履いたままでないと入れないありさま。近くに住む義母のマンションは被害が小さく、家族で身を寄せた。

 本震で熊本市内の多くの病院は機能停止状態になった。勤務する医療センターは県内の中核病院。自家発電の電気と水があり、各病院から患者が集まった。

 高木さんの担当は婦人科のがん患者。手術後の人、術前に状態が悪くなった人、抗がん剤治療中の人が次々に運ばれてくる。紹介状はなく、担当医と連絡もつかない。状態が悪化しないよう神経をとがらせながら、毎日午前9時から12時間勤務をこなした。

 その間も子どもの前では笑顔をつくり、「大丈夫」と声をかけ続けた。4月20日の日記には「1人で車の中で大声で泣いた」「夫が自分の仕事ばかりで家のことをしてくれない」「子どもの前では笑わんといかんからきつい」とある。

 日記によると、29日に水道とガスが復旧。30日には鹿屋市から母の角田ミヨ子さん(79)が支援物資を積んで訪れ、息子たちを連れて帰った。5月1日の日記には「自由に仕事ができる。まだ毎日1回は大きな地震」。マンションを片付けて子どもたちを呼び戻し、10日に小学校が再開した。

 その後も、婦人科のがんの手術は3カ月待ちの状態が続いた。待機期間を少しでも縮めようと必死に手術した。「使命感を持って生きていたから、しんどいという思いはなかった」

 医療現場は新型コロナウイルス禍に見舞われたこともあり、この9年、日記を読み返す機会はなかった。日記には「お兄ちゃんが弟に『今かっか(母)に話しかけない方がいいよ』と言っていた」との記述もあり、「子どもたちに気を遣わせてしまった」と話す。

 仕事柄、ストレスにさらされることには慣れているはずだった。高木さんは「1人大声で泣いたことでリセットできたのかもしれない。心が傷つくと回復に時間がかかる。私が乗り越えられたのは、心と体が元気だったからだと思う」と振り返った。

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