107人死亡の尼崎脱線事故 2両目に乗っていた私は「地獄絵図」を見た。20年たった今伝えたい、命の尊さ

2025/04/18 11:56
映画を見た高校生と話す小川夏果さん=14日、鹿児島市の鹿児島南高校
映画を見た高校生と話す小川夏果さん=14日、鹿児島市の鹿児島南高校
 2005年に兵庫県尼崎市で乗客ら107人が亡くなった尼崎JR脱線事故から25日で20年。あの日、多くの死者が出た2両目に、姶良市の映画プロデューサー小川夏果さん(38)がいた。背骨骨折、全身50針以上縫う大けがで九死に一生を得た。「同情され特別視されたくなくて」公言していなかったが、鹿児島に移り住み人々と触れ合う中で変わった。「困難を乗り越えた経験が誰かの励みになれば」。今はそう思い命の尊さを伝えていくつもりだ。

 あのとき、衝撃で目が覚めた。自分の体の上に何人も乗っかっていた。左の太ももには、ぐったりした男の人。頭から血を流している。自分の頭を触ると血。もうろうとする意識の中、「助けて」と叫んだ。

 同志社大学(京都府)に入学したばかりで、西宮市の自宅から電車で通っていた。いつもの快速電車2両目。一番後ろの席でイヤホンを着け音楽を聴くと、すぐ眠くなった。気が付いたら「地獄絵図だった」。

 右半身が車両の割れたガラスの上にあった。救助され左腕に「重症」を意味する赤いワッペンを着けられた。涙が止まらない。血だらけなのに痛くない。このまま死ぬと思った。

 意識が戻ると手術を終えた病院の個室だった。鏡に映った顔はあざだらけ。誰にも会いたくない。「なんで自分だけ生き残ったの」。眠れない日が続いた。

 入院は4カ月に及んだ。脊椎を傷めたが奇跡的に後遺症はなかった。縫い跡は服で隠せた。ただ大好きなミニスカートはもうはけない。電車が怖くなり大学の近くに引っ越して復学したが、感情が動かない「無の状態」。教員以外事故のことを知る人は少ない。友人はできず講義以外は部屋にこもった。心療内科で心的外傷後ストレス障害(PTSD)と診断された。

 孤独な生活を送る中、大阪の街でモデルにスカウトされた。「こんな自分でも必要とする人がいる」。勇気を出して飛び込んだ。着物ショーや雑誌の撮影で気持ちが前向きになり、大学生のミスコンテストで近畿代表に選ばれた。オードリー・ヘプバーンのような俳優への憧れが膨らんだ。

 大卒後は金融機関に就職したが、俳優への思いを断ち切れず退職。CMオーディションに合格し上京した。1年後には民放ドラマのレギュラーが決まり、映画や舞台にも出た。事故の責任を巡る裁判は続いていたが「ニュースを横目で見る感じ」で遠ざけていた。

 可能性を広げようと留学した中国の映画専門大学で出会った伊地知拓郎監督(27)=鹿児島市出身=の長編デビュー作「郷」をプロデュース。オール鹿児島ロケを取り仕切り一昨年、姶良市に移住した。

 県内の中学高校で上映会を重ね、若者の夢や悩みを聞くうち、自分の体験が励みになるのではと思えた。「生き残った者の使命」も意識し始めた。「いつかあの事故をモチーフに生きる力や希望につながる映画を作りたい」。JR側に意向を伝え、伊地知監督と構想を練っている。

■尼崎JR脱線事故 2005年4月25日、兵庫県尼崎市のJR福知山線で、7両編成の快速電車が塚口-尼崎間にある制限時速70キロの急カーブに116キロで進入。脱線して線路脇のマンションに激突した。乗客106人と運転士が死亡し、562人が負傷。速度超過を防ぐ自動列車停止装置(ATS)の整備指示を怠ったとして、業務上過失致死傷罪でJR西日本の山崎正夫元社長が在宅起訴され、同罪で他にも歴代3社長が強制起訴されたが、いずれも無罪判決が確定した。

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