「平和のためにできることは、戦争の事実を正しく知ること」…戦没船「富山丸」の慰霊式典に若い世代も参列、記憶の継承誓う

2025/04/20 06:30
沈没海域で黙とうをささげる遺族=19日、徳之島町亀徳沖
沈没海域で黙とうをささげる遺族=19日、徳之島町亀徳沖
 太平洋戦争中に徳之島町亀徳沖で米軍の魚雷攻撃を受けて約3700人が犠牲となった輸送船「富山丸」の海上慰霊祭が19日、沈没した海域であった。遺族約40人が、海に眠る家族に花を手向け冥福を祈った。

 遺族を乗せたマルエーフェリー「フェリーあけぼの」は鹿児島市の鹿児島新港を出発し、午前8時半過ぎに当時火の海となった沈没海域を旋回。長い汽笛に合わせて遺族らは黙とうし、菊の花を海に投じた。

 海上での慰霊祭は高齢化を理由に昨年で最後となる予定だったが、船会社の協力で実現した。鹿児島市坂元町の有村惠子さん(80)は「英霊は海上で待っている。務めを果たせ、感謝でいっぱい」と話した。

 遺族は徳之島で下船し、慰霊碑のある徳之島町亀徳の「なごみの岬公園」で町などが主催する式典に参列した。曽於市大隅町岩川の黒木義廣さん(84)は「ここに来て初めてお父さんと呼べる。元気な限り参拝する」と碑に語りかけた。

 富山丸は1944(昭和19)年6月29日、沖縄に向かう途中で撃沈された。四国や九州で編成された旅団将兵らが乗船していた。



 徳之島町亀徳で19日にあった戦没船「富山丸」の慰霊式典には、地元とゆかりのある児童生徒が初めて招かれた。戦後80年を迎え記憶の継承が課題となる中、遺族は「若い世代に託せてうれしい。関心を寄せる人が増えれば」と期待する。

 鹿児島市の鹿児島純心女子中学校1年の竹田百笑さん=天城町岡前小学校卒=は富山丸を題材にした作文を朗読。「平和のためにできることは、戦争の事実を正しく知ることだ」と訴えた。

 竹田さんは昨年、「富山丸」に関する南日本新聞の記事を読み、「戦争を忘れないために」と題して「ひろば」欄に投稿。それを読んだ遺族の有村惠子さん(80)=同市坂元町=と交流が生まれた。

 有村さんは式典後、「気持ちを代弁してくれて涙が止まらなかった」と感謝を述べた。竹田さんは「遺族の姿を見て、犠牲者を忘れてはいけないと改めて感じた」と話した。

 このほか、亀徳小学校の児童による合唱もあった。

 高岡秀規町長は「参加者が減り、後世に伝える重要性を再確認した。子どもたちに平和への思いが届くことを願っている」と語った。

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