大荷物を抱え空港連絡バスの列に並ぶ乗客=5月、鹿児島市中央町の南国交通バスターミナル
鹿児島県内の路線バス事業者が苦境にあえいでいる。「ドル箱路線」で稼ぎ、地方の赤字路線をカバーする経営モデルは2000年代初めの規制緩和で崩壊。利用低迷が続く中、運転手不足対策、車体更新、サービス向上と取り組むべき課題は少なくない。公共交通機関としての在り方を模索する事業者の本音や苦悩を紹介する。(連載かごしま地域交通 第3部「事業者の苦悩」③より)
4月下旬、鹿児島市中央町の南国交通バスターミナルは大荷物の人であふれていた。国内外の旅行客やビジネス客が列をつくり、バスに乗り込んだかと思えば、すぐに次のバス待ちの列ができる。
新型コロナウイルスの5類移行後、人の動きが活発になった。運休していた鹿児島空港とアジアを結ぶ国際定期便4路線が2024年に全て再開したこともあり、鹿児島市内-空港間の連絡バスの需要はコロナ前の9割程度まで回復した。
共同運行する鹿児島交通と南国交通の担当者は「この路線がバス事業の生命線だ」と口をそろえる。一日62往復、片道1500円(25年4月から)。比較的高額ながら、鉄路のような他に競合する交通機関がないため安定利用が見込める。初乗り200円台の市街地や地方の路線より採算性が高い「ドル箱路線」に位置付けられている。
路線バス事業者には、空港連絡バスのような採算路線の利益で他の赤字路線をカバーし、全体を維持するビジネスモデルが存在する。「内部補助」と呼ばれ、業界では定着している。
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不動産や観光業と多角経営に取り組むバス事業者は少なくない。南国交通も航空業務や旅行商品販売を手がける中、山田誠常務(67)は「バス会社はやはりバスで稼ぐ必要がある」と強調する。
バス事業での内部補助の歴史は、路線バスの社会的ニーズが高かった1950年代にまでさかのぼる。路線バスは戦後、駅を中心に市街地や地方への移動手段として、鉄道と並んで住民にとっての重要な役割を果たしていた。ただ人口や経済環境が異なる都市部と地方では乗車率や利益率に開きもあった。
当時、事業参入や路線新設には国の免許が必要だった。国が需要と供給のバランスを図る需給調整規制が敷かれていたからだ。他社は容易に参入できず、既存事業者による寡占市場となっていた。
新規事業者が採算路線だけに参入する“いいとこ取り”を阻む狙いがあった。同時に既存事業者が採算路線で得られる利益を保護できた。それと引き換える形で、地方の不採算路線を存続してもらい、公共交通網を維持する仕組みが成り立っていた。
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「内部補助だけでどうにかなっていた時代はとっくに終わった」。南国交通の山田常務は話す。
高度経済成長に伴い国民所得が伸びた70年代以降、急速に自家用車が普及し、都市部でもバス利用に陰りが出てきた。鹿児島運輸支局によると、県内路線バスの輸送人員は72年度の9348万人をピークに下降し始め、2000年度は5611万人と4割近くにまで落ち込んだ。
ドル箱路線があったとしても、全体の利用者がこれだけ減れば、不採算路線を補う役目は果たせない。需給調整規制による内部補助のビジネスモデルは通用しなくなってきた。むしろ規制により自由に路線撤退できないことで赤字がかさみ、事業者の経営悪化を進める要因になってきた。
国は現状を打開するために大胆な制度改革に踏み切る。