80年前、空襲に見舞われた鹿児島市街地 石造りのザビエル教会聖堂も天井が焼け落ちた。記念碑に2代目聖堂に〝証人〟は生き残る

2025/06/18 15:30
初代聖堂の玄関口と正面外壁を利用したザビエル滞鹿記念碑=鹿児島市東千石町のザビエル公園
初代聖堂の玄関口と正面外壁を利用したザビエル滞鹿記念碑=鹿児島市東千石町のザビエル公園
 鹿児島市の繁華街近くに立つ鹿児島カテドラル・ザビエル教会=照国町=は、空に伸びる鐘楼が印象的だ。1999(平成11)年に完成したモダンな聖堂を見守るように、道路向かいのザビエル公園に「ザビエル滞鹿記念碑」が立つ。その碑は、45(昭和20)年4月8日の空襲で焼け残った初代聖堂の石材で造られた。

 市戦災復興誌などによると、同日午前10時半、突如米軍機数十機が市上空に現れ、大型250キロ爆弾約60個を投下した。3月18日に続く2回目の空襲で、騎射場、加治屋町、東千石町など2593戸が被災。587人が犠牲になった。

 08(明治41)年築の石造りの聖堂も天井が焼け落ち壁だけが残った。「一面の焼け野原の中でポツンと立つ姿は異様でさえあった」。NPO法人文化財保存工学研究室(福岡県小郡市)刊の「聖堂再生」に、そんな証言が残る。

 終戦から4年後、ザビエル渡来400年を記念し、木造の2代目聖堂が完成する。丸みを帯びた近代ゴシック風建築の隣に、初代の外壁も残された。崩落の危険から撤去されたのは61(昭和36)年。中央玄関と正面の一部が、「滞鹿記念碑」に生まれ変わった。

 80年前の空襲と復興を見つめた“証人”は今、静かに街の風景に溶け込む。カトリック鹿児島司教区広報部の山下眞二さん(67)は「初代聖堂は神様の家、信者の心のよりどころとして、台風などで壊れないよう石造りになったようだ。一部が残り、歴史を伝えられるのはよかった」と語る。

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