核兵器廃絶を訴える田中重光さん=鹿児島市のNCサンプラザ
昨年ノーベル平和賞を受賞した日本原水爆被害者団体協議会(被団協)の代表委員、田中重光さん(84)=長崎市、長崎原爆被災者協議会長=が鹿児島市を訪れ、講演会などで核兵器の廃絶を訴えた。今年は被爆80年。8月に広島と長崎で原水爆禁止世界大会も開かれる。田中さんは「核兵器禁止条約に日本も参加せざるを得なくなる空気を国民の力で作り、政府に圧力をかけてほしい」と話した。
田中さんは1945年8月9日、爆心地から約6キロ離れた長崎県時津町で4歳の頃に被爆した。当時父は召集され、祖父に「じいちゃん、飛行機の音がするばい」と言って飛行機を捜そうとした時、見たこともない光を感じた。爆発音と爆風に襲われ、家中のガラスが割れて障子やふすまが吹き飛んだ。
母は翌日から近くの学校に収容された重症者の看護に駆り出された。やけどで顔が腫れ上がり、目がふさがって男か女か分からない人たちがいた。医薬品はすぐに底を突き、うめき声がしなくなって見に行くと死んでいたという。
田中さんは「米国はいかに非人道的なことをしたか分かり、被爆実態を覆い隠した。日本政府もその状態を放置したため、被爆者は誤った情報で差別と偏見にさらされた」などと苦難や原水爆禁止運動の歴史を紹介。ノーベル平和賞について「核兵器が使われる日が迫っている。もう一度被爆者が体験を語り、世界中の人たちに核兵器を使った後の現実を再認識してもらう意味がある」と語った。
原水爆禁止日本協議会の土田弥生事務局次長は「大国が国連憲章を軽視する中で、核を持たない国が連帯し、多国間主義を推進する力になっている」と核兵器禁止条約の意義を説明。8月の世界大会、来年の核拡散防止条約(NPT)再検討会議に向けて、世界の平和運動が連なっていくことの重要性を教示した。
講演会は鹿児島市のNCサンプラザで14日あり、オンラインを含め約80人が参加した。田中さんはJR鹿児島中央駅前で開かれた反戦集会にも参加し、核兵器のない世界を実現するよう訴えた。